B5.3 秘めた可能性.

作品名:「丸橋忠弥 市川左団次」
絵師:基寿
判型:大判錦絵
出版:明治25年(1892)3月 三谷音次郎
所蔵:立命館ARC(arcUP8148,8149)

この絵師の作品はこの他には寡聞に知らないが、本作品は、東京とも大阪とも違った個性的な役者絵である。関西にはこうした才能が開花せずに埋もれていたのだろう。
もともとは大阪で生れた初代市川左団次は、父小団次について東京で役者になり、団十郎や菊五郎と並び称されるほどの役者になっていたが、明治25年3月大阪浪花座に出で、故郷に錦を飾った。本図は、「名高慶安太平記」の一場面である。由井正雪を首領とする慶安事件は、講談や演劇でとりあげられ、忠弥も名前を変えて、度々歌舞伎の題材となっているが、本作は、丸橋忠弥は、初代左団次の出世作の一つで、河竹黙阿弥が左団次のために書下ろしたものである。
この場面、江戸城の堀端で、犬を追うと見せて、石を掘りに投げ、その水深を計測しようとする。背後には老中松平伊豆守が顕れ、みとがめる。石を投げた後、煙管を竪に持ち、耳を澄ますして水音を聞くときに、見得となって決るところが有名で、煙管を横に倒してみたが、やはり「竪にする方が絵になる」との九団次本人の口伝も伝わる。しかし、本図では、丁度石を投入れたところで、石投げの見得のポーズで描かれている。
この場面は、雨の中、合羽を羽織り、尻をからげた扮装で、その雨にかすんで遠見でぼんやりとみえる江戸城や、手前の聳える城壁をゴマ摺で表現するなど手も込んでいる。ちなみに、左手でもつ太刀は朱鞘であるが、拳の下に一点の赤が摺られていて、細かい。(あ)