B1.2 消された「新聞」錦絵.

作品名:「大阪 錦画」「第拾号」
絵師:貞信〈2〉
判型:中判錦絵
出版:明治8年(1875) 本為板、本安板
所蔵:立命館ARC(arcUP7191)

本図は、題名に不自然な空白があるが、塗り潰したものではなく、もともとこの部分には文字が印刷されていない。板木から「新聞」の二文字を削り落として、摺ったものと考えられる。B1.1に述べた「新聞紙条例」による板元側の対応とみることができるだろう。しかし、その後、大阪の新聞錦絵には、「新聞」の文字が戻ってくる。明治政府が意図したのは、言論を左右する上流の知識人を対象とした規制であって、錦絵新聞のような大衆向けのメディアには及ばないことが、分かったからであろう。(あ)

作品本文:
「東京砂村萩新田の勘兵衛が娘おいとは三十四五才ニて駿州にある何某の嫁にて子供一人ある中を 何の子細か縁も切らず里へかへりて近所の田村又二郎の一子清太郎が嫁となり 暮す月日に廻り来る 彼の静岡に置し十七八の忰が勘兵衛方へたかりしより それとはなしにおいとを呼にやりしに 清太郎心よくかへし久しぶりなる親と子がつきぬ話しに日がおくれしより 斯とはしらず清太郎が迎に行しに 豈図や若い男と二人りさしむかいなる私語 太い女と其場をはづし 明日ノ夜に出刃庖丁を明光々と研すまし 携へ行て出しぬけにそれと云間もあら?/\しき おいとの鼻より腮へかけ切こんどりし 大変に明治八年五月廿七日清太郎は送られし短気の上の不体裁 おいとの上は貞操を破りて二度の腐り縁 法律は正しくせねばかく身を破る 天理なる読うり百十三号見たるべし」