A3 小島貞二コレクション最古の番付

年号:寛保2年(1742)8月
所蔵:小島貞二コレクション
資料no:kojsp02-009

 画像は小島貞二コレクションの内最古の番付である。京都での勧進角力で西方の番付である。kojsp02-008が東方である。『日本相撲史』上巻には翻刻が載っていない。この当時の勧進相撲の本場は上方で、京都・大坂で盛んに行われた。勧進とは本来寺社の修復などのための資金集めのことを指すが、実際は寺社とは関係なく木戸銭を取って見せる興行も勧進相撲と言った。しかし、このような興行は常に喧嘩口論が起り騒乱の原因となった為、禁令が出され京都も例外ではなかった。慶安(17世紀中)以降40年ほど相撲興行は禁止されていた。「A2 江戸相撲の中興」にあるように江戸では貞享元年(1684)に公式な許しを得て興行が復活したが、同じように元禄頃(1688以降)に京都でも相撲興行が許されるようになった。その条件は江戸・大坂よりも厳しく勧進の主旨を明確にしなければ許しがでなかった。画像にある番付にも「堀川下立売車橋為掛替之御赦免之勧進相撲」とある。興行した場所は「二条川東畑地」とある。『日本相撲史』上巻によると京都での官許による相撲興行で現存する番付は元禄15年(1702)からである。

 現在と違い当時は興行ごとに力士を集め、例えば東方は東国から、西方は九州からというように異なる地域の力士集団を集めて東西対抗で戦わせた。そのため番付も東方・西方で1枚ずつの二枚一組の番付となっている。登場する力士も一定ではなく、その場所の成績が次場所に反映されるということも無かった。『日本相撲史』上巻にはこの画像にある寛保2年8月の番付は載っていない。掲載されている寛保元年閏4月二条川東の番付と寛保3年5月二条川畑の番付と比較しても重複する力士の名前が無いのは、それぞれ別の地域の力士集団を集めたからである。なお京都での相撲なので『武江年表』には記載はない。

関連記事
  • A4 江戸における信頼できる現存最古の番付

    A4 江戸における信頼できる現存最古の番付

    年代:宝暦8年(1757)3月
    所蔵:小島貞...