B2-02 九紋龍清吉

年代:天明8年(1768)4月
所蔵:小島貞二コレクション
資料no:kojSP02-44

 『武江年表』の寛政元年の項に「〇角力人谷風梶之助、小野川喜三郎横綱免許、又九紋龍といへる角力取行はる。」とある。九紋龍清吉は越後国(新潟県)頸城郡上曽村の出身で19歳で国を出て、まず大坂相撲の陣幕の門に入る。その後江戸に下り常盤山の弟子となった。身長6尺8寸5分(約207.6㎝)体重40貫(約150㎏)と当時としては稀に見る巨人であった。天明7年11月場所に江戸初登場となったが、小島貞二コレクションに当該番付が欠けており、九紋龍の登場2場所目の天明8年4月場所の番付を掲載する。当初はその巨体を見込まれた土俵入り専門の看板大関として登場した。しかし相撲を取ってみると思いの外負けることが少なく、看板力士ではない真の三役力士として活躍した。寛政元年(1789)11月場所から久留米藩お抱えとなった。寛政3年(1791)6月11日に行われた将軍家斉の上覧相撲を儒者成島峰雄が記録した『すまゐ御覧の記』に九紋龍の面影が書き残されてる。その部分を引用すると「小むすび九紋龍、西の柏戸を合せ、九紋龍まだわらはのさまながらすぐれて丈たかく、少し心ぬるきやうなる、柏戸はすがたかたちととのひ、あいけうありて心ききたりと見ゆ云々」

 久留米藩お抱えになると藩侯の帰国に同行することも多く江戸の場所をしばしば休んだ。特に寛政の後期は番付に名前があっても出場することは少なく、強みを発揮することも無かった。谷風逝き小野川も引退した寛政10年10月場所を最後に番付から名前が消えた。しかしそれ以前の数場所も名前は記載されているが休場していた。九紋龍はその長大で個性的な顔や巨体がしばしば浮世絵に描かれ写楽の絵にも描かれた。