D6-3 「源頼光朝臣丹波国市原野にて四天王の勇士をもつて鬼童丸を退治するの図」
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資料名 : 「源頼光朝臣丹波国市原野にて四天王の勇士をもつて鬼童丸を退治するの図」
作者 : 歌川国芳
員数・装丁・判型 : 大判錦絵三枚続
年代 : 天保14年~弘化4年(1843~47)
資料番号 : arcUP8282~8284
本作は市原野の鬼童丸退治の場面を描く。鞍馬詣で多くの郎党を引き連れた頼光と四天王たち、そのひとり・綱に見破られ、刀を抜き綱を睨みつける鬼童丸を描く。国芳はほかにも「耀武八景 市原野晴嵐」や伊勢屋利兵衛版、 山口屋藤兵衛版の作品で同じ場面を描いているが、それらでは鬼童丸は鬼の姿で描かれており、皮膚の色も赤や青に変じている。
鬼童丸がもともと比叡山の稚児だった点(『前太平記』)は酒呑童子の生い立ちと共通するが、鬼童丸を酒呑童子の息子とする伝説が福知山市雲原に伝わる。頼光らが大江山で酒呑童子を退治し、都でさらわれ、捕らえられていた女房たちを解放したが、伊予掾経友の奥方とされる女房は心を病んでおり、そのうえ酒呑童子の子を身ごもっていた。女は都へ帰ることはかなわず、雲原に住み男児・鬼童丸を生んだ。生まれながらに歯が生え揃っており、成長するにつれ、力は大人以上のものとなった。山を駆け巡り動物を捕まえて肉を貪る振舞は村人から恐れられ、やがて父・酒呑童子の恨みを果すため市原野で頼光を討とうと思い立ったという。結局、鬼童丸は返り討ちにあうこととなるが、頼光に首を打ち落とされた際に、刀を抜いて頼光の鞍の前輪を突き、首は鞅(むながい)に食らいついた(『古今著聞集』)という描写は、父・酒呑童子の最期を髣髴とさせる。(I)
【参考文献】
福田晃・小林幸夫『京都の伝説 丹波を歩く』1994年,淡交社
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