本作は安永4年(1775)に、絵師・石川豊信(1711~1785)が北越の喜多村氏の依頼により描いた肉筆の作品で、もとは絵巻1軸の形態であったが、後に折本に改装され今日に伝えられる。頼光一行の酒呑童子征伐を中心に12図が収められ、絵師・豊信による序文(まえがき)・跋文(あとがき)が添えられる。もともとの詞書の有無は不明である。石川豊信は紅摺絵期を代表する浮世絵師とされ、とりわけ美人画の評価が今日でも高く、本作も全体的に上品で端麗な筆致で描かれている。なお、本作には「ŌYEYAMA Fable」と題した序文・跋文の英訳も付随する。
浮世絵師が手がけた酒呑童子絵巻には、浮世絵の祖とも称される菱川師宣(1618~1694)が、晩年の元禄5年(1692)に制作したとされる『大江山酒呑童子絵巻』(藤田美術館所蔵)、18世紀前半にかけて活躍した懐月堂安度(生没年不詳)による『大江山絵巻』(太田記念美術館所蔵)がある。師宣は、寛文から延宝期にかけて普及した酒呑童子ものの古浄瑠璃*¹をもとに、延宝8年(1680)頃に酒呑童子に関する19枚揃の組物を刊行しており、安度の『大江山絵巻』は師宣の組物の影響を受け制作されたものとされる。なお、奥村政信が挿絵を手がけ、享保6年(1721)に刊行された古浄瑠璃正本『頼光山入』もまた、師宣の組物の影響を受けたとされる。
安永4年(1775)成立と考えられる本作もまた、第4図(姫君がさらわれる場面)、第5図(国高と友春の合戦)などに見られるように古浄瑠璃で展開される場面が挿入され、また古浄瑠璃正本『頼光山入』に類似する図様*²が確認されるが、豊信は従来の絵巻や御伽草子の場面とそれらを折衷し、再構成をこころみたとみえる。
依頼主の喜多村氏についての詳細は不明であるが、北越(越中・越後国)より遥々絵を依頼するほど、豊信の絵師としてのきこえはめでたかったとみえ、豊信もその期待に確かに応えた逸品であるといえる。
【注】
*¹浄瑠璃は室町時代中期に平家琵琶の系統を引く語り物として生まれたが、貞享3年(1686)初代竹本義太夫が「出世景清」を語り出す以前の浄瑠璃を古浄瑠璃とする。御伽草子・幸若舞・説経節などを題材とし、史劇・霊験物・お家騒動物・世話物などで、江戸に金平節・薩摩節など、上方に播磨節・土佐節・加賀節などがあった。
*²『頼光山入』の挿絵は全8図(見開き4図)で、立命館大学アート・リサーチセンター所蔵本は第1図(頼光の屋敷での酒宴場面)が欠落する。豊信による本作では首討ちの場面を除く7図が『頼光山入』の挿絵と対応している。
【参考文献】
浅野秀剛『菱川師宣と浮世絵の黎明』2008年,東京大学出版会
宮腰直人「『頼光山入』考ー奥村政信と古浄瑠璃正本をめぐってー」2011年,太田記念美術館紀要 浮世絵研究1,pp49-64
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