4.4 寝惚先生文集(nakai0248)狂詩・狂文

毛唐陳奮翰(大田南畝、1749~1823)作、明和4(1767)年刊 小本 2巻1冊、

翻刻 『寝惚先生文集、他2編』、新日本古典文学大系 84 (岩波書店、1993)、P3

 大田南畝は、下級武士である御徒の家の長男として生まれたが、漢学等の学問に秀でていた。本書は19歳のときの作品で、上巻は狂詩で、下巻は狂文である。内山椿軒同門の平秩東作を通じて知り合った風来山人(平賀源内、1728~1779)が序文を書いている。狂詩としては、下級武士の哀れを詠じた「貧鈍行」(2)がある。(読み下し文で示す)

貧すれば鈍する 世を如何 食うや食わずの吾が口過

君聞かずや 地獄の沙汰も金次第 挊ぐに追い付く 貧乏多し

 南畝は、世相の矛盾を指摘した点で文名をあげた。同年代の銅脈先生(畠中観斎、1752~1801)が京都にいて、『太平楽府』(明和6(1769)年刊、nakai0252)等を刊行、南畝とともに、東西の二大家として注目を集めた。共著の『二大家風雅』(寛政2(1790)年刊、nakai0254)が刊行されている。