1.5 京都見聞雑記(nakai1322)

 記事の冒頭は、「文久三亥年六月三日京着以来 見聞録」とあり、この一連の記事は、京都守護のために派遣された松代藩(信濃国埴科郡松代町、現、長野市松代町)の藩士が京都に着いたのちに書いたものである。

 記事の書き始めは、到着した約1ヶ月後の7月4日夜である。「三条大橋ヨリ四丁程下ノ河原ニ切り捨てこれ有る由ニ付、早速罷り越し見物」とあるが、その状況について、「廿五六才位の男、各所に傷あり」、脇に「この者は正義の名をかたって富豪から金銀をむさぼった。その罪は軽くないので天誅をした」とある。このような記述が何カ所かある。

 京都守護のため、各藩の藩士が集められているが、その藩の数は、肥後・秋田をはじめ30藩ほどである。8月18日は、長州藩が倒幕挙兵を企てたが失敗し、三条実美ら七鄕が、長州に落ちる「八月十八日の政変」とされる日である。この日およびこの前後の記述が多い。また、その後について、大和の変(「天誅組」の事件)に関する記述もある。

 本書について、古文書研究グループの翻刻がある。「中井文庫日本古典籍閲覧システム」に掲載する予定である。