1.4 涙襟録(nakai1321) 

 元治元(1864)年に水戸藩で起こった、俗に「天狗党事件」といわれる出来事に関するものである。尊皇攘夷を主張し、武田耕雲斎を首領として挙兵したのである。

 挙兵したのは4月であるが、その後、水戸藩の旧守派、幕府軍との対立があるが、これについては、吉村昭の小説、『天狗争乱』(5)に詳しい。「涙襟録」には、8月22日に京都に向かって出発したとある。『国史大辞典』(6)は、「千人余の一隊は武田を総大将として京都に上り、尊皇攘夷の素意を朝廷に訴えることとした」となっている。口絵の3丁に27の旗指物の絵がカラーで描かれている。総大将 武田伊賀守(耕雲斎)の旗には、「攘夷」と書かれているが、これによって、この部隊の主意がわかる。

 「涙襟録」には、出発してから、12月24日までの日々の記録が記載されている。一行は敦賀で加賀藩に降伏することになるが、『国史大辞典』にはその時の人数は823人とある。大まかな人数の変化については「涙襟録」で見ることができる。投降した人たちは、斬罪・遠島・追放の処分を受けた。

 本文の末尾に「伊藤栄太郎」という記述があるので、この人が日記を残したと考えられる。この人は水戸藩士であると考えられが、どのような処刑を受けたのか、この日記をどのようにして残したかは不明である。本文に朱がは入っているが、本を借りて書写を誰かに依頼した場合、依頼主は写し間違いを朱で修正するのである。追記の末尾に「大塩正路蔵本」とあるので、この人が写させたと考えられる。