C11筋書にみる近代
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「当る未年初春興行 吉例大歌舞妓」
判型:菊版1冊
上演:昭和6年(1931)1月2日大阪・中座
外題:「高嶺雪伊達実録」他
資料番号:arcBP02-0006-150 所蔵:立命館ARC【解説】
昭和6年6月1日興行時に出版された筋書。筋書とは、絵入狂言本が変化したもので現在のプログラムと同じ位置づけのものである。
筋書の前進である絵入狂言本とは、芝居の筋を絵中心に構成した出版物で元禄期に短い期間出版された。この後も上方では絵尽が誕生し、江戸では延享期頃から明治期にかけて絵本番付が主流となったが、以前絵が中心であった。そんな中、明治に誕生した筋書は文章の量が格段に増え、尚且つ芝居の一場面を切り取った絵が添えられ、読み応え・見応えのある魅力溢れる出版物へと成長し、今日のプログラムへと繋がる。
筋書が刊行され始めたのは明治11年4 月大阪からである。当初は不定期刊行であったが、明治後半に松竹合名社によって劇場での恒常的な販売が開始された。内容としては、外題のあらすじや配役だけでなく、汽車の時刻表や役者のエッセイ、商品広告、料理屋のメニュー、劇場からの注意書き等様々なページが設けられている。松竹合名社は当時凄まじい勢いで日本の劇場を手中に収め、興行方法・出版物を一手に担い統一した。この松竹の働きも筋書の発展に繋がった。今回展示している筋書も松竹合名社が手がけたもので、松竹合名社の運営方法が記されている。
本筋書の「御注意」に「(1)お座席の番号を御忘れないやうに。」「(15)お履物は閉場一幕前に指定の場所で御受取の程をお願ひます。」とある。(1)からは、ある程度座席の区分が固定されていたことがわかる。(1)に加え、別ページには各座席の金額・切符(チケット)購入方法が記載されている。また、近代に近づくにつれ、劇場内に土足のまま入場することになるが、中座は昭和6年の段階ではまだ土足厳禁であったことが(15)からわかり、近世期の劇場が少しずつ近代の劇場へと姿を変える様子がうかがえる。(青)
【参考文献】
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赤間亮「歌舞伎の「筋書本」に関する覚書―次世代の歌舞伎のためにー」(『文化の変容と再生』法律文化社、1996年)pp.11-26
赤間亮『図説江戸の演劇書』(八木書店、2003年)