D03四代目市川団十郎
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「かけきよ 市川団十郎」
絵師:鳥居 版型:細板/紅摺絵
出版:宝暦10年(1760)前後江戸
資料番号:arcHS03-0007-3_02 所蔵:立命館ARC.【解説】
正徳元年(1711)~安永7年(1778)2月25日没(享年67歳)。江戸・堺町の芝居茶屋の子として生まれる。正徳3年には初代松本幸四郎の養子となる。享保20年(1735)には二代目幸四郎を継ぎ、のち二代目団十郎の養子となる。宝暦4年(1754)、43歳で四代目団十郎を襲名する。
四代目団十郎は、体躯の痩せた役者であり、面も細面で、荒事を特色とする市川家の後継としては、不向きな役者だった。団十郎襲名後も、荒事には失敗し、唯一暗い役柄である「景清」で成功するなどし、「団十郎らしからぬ団十郎」だと呼ばれた。しかし団十郎は、はじめ自身得意とする敵役から善人に変わる役を演じ人気を得ると、当時流行していた江戸っ子な役柄を演じ、大人気を得、時世を風靡する。この役柄は今日の歌舞伎演劇の規範の一つともなり、団十郎は江戸中期の歌舞伎の指導者となった。明和7年(1770)、息子に団十郎を継がせ、自身は再度松本幸四郎を名乗り、後に三代目市川海老蔵となる。以降、舞台を休みがちになり、安永5年(1776)の秋、剃髪して引退する。
引退後、役者の演技の勉強会である「修行講」を行った。この時代、義太夫狂言の流行や芝居機構の発展により、歌舞伎に求められる姿が変わりつつあったが、四代目は、実子である五代目団十郎も同席したこの修行講で、団十郎一門の格式を守ることを教えた。
修行講には、初代中村仲蔵もいた。仲蔵は、「仮名手本忠臣蔵」五段目の斧定九郎の演出で有名であるが、その演出については、蕎麦屋で思い悩んでいたところ、ずぶ濡れの浪人が入ってきたのを見て、自身の演技にも取り入れたという。これは、落語(「中村仲蔵」)にもなっている話であるが、これは修行講で五代目団十郎が初めに提案したものだという話がある。これに対して、四代目団十郎は、「お前がそんなことをするな」と話したという。四代目団十郎は、修行講の中で、五代目に団十郎としての格式を重んじることを、教えていたのである。(黒.)【参考文献】
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『市川團十郎代々』(講談社)
『歌舞伎 家・人・芸』(淡交社)
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- 投稿日:
- by RA
- カテゴリ: D 役者の親玉 市川団十郎
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