H06宙乗り(小幡小平次)

「小平次亡霊」「安達左九郎」
絵師:豊国〈3〉 判型:大判/錦絵 3枚続
上演:嘉永6年(1853)9月17日江戸・河原崎座
外題:「怪談木幡小平次」
資料番号:arcUP2372~2374 所蔵:立命館ARC.

【解説】
 本作品は、幽霊となった木幡小平次が舞台上に宙乗りで現れたところを描いている。
 小平次をめぐる伝説は様々伝わっているが、旅役者であった小平次の女房が密夫をつくり、邪魔になった小平次を密夫が惨殺したが、小平次は幽霊となって現れるというもの。山東京伝が享和3年(1803)に『復讐奇談安積沼』を書いて著名になった。ここでは、密夫は鼓打の安達左九郎が女房のお塚とよい仲になり、小平次が奥州に旅芝居中に、安積沼に釣に誘って溺死させる。左九郎が江戸に帰りお塚を訪うと、小平次は既に帰宅して寝ているという筋。この後、四世鶴屋南北によって文化5年(1808)5月江戸市村座「彩入御伽草」が初演され、歌舞伎にしばしば登場する怪談劇となった。
女の幽霊が多い中、佐倉惣五郎やこの木幡小平次が男の幽霊の代表である。
 宙乗りの演出は古くからあり、元禄13年(1700)江戸森田座の「大日本鐵界仙人」で、曽我五郎の初代団十郎が念力五郎(息子の市川九蔵)を口から噴出すときに使ったのが最初ともいわれている。また、宝暦11年(1761)1月大坂角の芝居「霧太郎天狗酒醼」(並木正三作)では、霧太郎(中山新九郎)が天狗姿で客席の上を宙乗りし大評判になったことが伝わっている。
 怪談劇では、怪異現象を見せるためしばしば宙乗りが使われるが、提灯や三味線の胴から抜出たあとに宙乗りとなるというイリュージョンのような演出も行なわれた。(a.)

【関連項目】
 宙乗り(義経千本桜)
【用語解説】