E02三升紋

「ゑひしやこの十 市川団十郎、三か月おせん 岩井半四郎」
絵師:豊国〈1〉 判型:大判/錦絵
上演:寛政10年(1798)11月1日江戸・中村座
外題:「花三升吉野深雪」
資料番号:arcUP0509 所蔵:立命館ARC.

【解説】
 本図の右に立つのは、海老ざこの十に扮する六代目市川団十郎。左の三日月お仙は、四代目岩井半四郎である。この役が始めて歌舞伎に顕れるのは、寛政4年(1792)11月河原崎座の「大船盛鰕顔見勢」で、親の五代目市川団十郎が海老ざこの十、同じ四代目岩井半四郎がお仙を演じた。半四郎の三日月お仙は、「悪婆(あくば)」と呼ばれる伝法肌な毒婦型女性の役柄で、江戸後期の女方芸を代表するキャラクターであるが、この時始めて創出されたと言われており、岩井半四郎家を代表する役である。
 一方の「海老ざこの十」という役名には次のようなエピソードがある。五代目市川団十郎がこの時、すでに市川鰕蔵と名乗っていた。代々の団十郎は、江戸の「飾り海老」と言われるような江戸を代表する役者であり、その隠居名として「海老蔵」を名乗ったが、自分は、先祖代々のりっぱな海老ではなく「じゃこえび(鰕)」であるから、鰕蔵の字を使うという。この名乗りをそのまま「海老じゃこの十(団十郎)」という役名にしたので、自分自身でつけた自分自身のニックネームそのままので舞台に登場したことになる。
 本図では、その子の六代目が親と同じく「海老ざこの十」として三升紋つなぎの模様に市川の文字が入る襟の着付で、市川尽くの出で立ちで登場した役者絵ということになる。
 三升紋とは、市川団十郎家の定紋。米を計る升の大・中・小三個を入れ子にして、上から見た形を図案にしたものである。四角の形と黒一色の太い線で構成されているのが江戸人好みの男らしいイメージである。一説に、初代団十郎が不破伴左衛門の役の衣装に使用した稲妻の模様から転じたとも言う。また、団十郎の先祖は甲斐国東山梨郡市川村の出身との説を踏まえ、この地方の升は「甲斐の大升」と言われ、一升が普通の升の三升に相当するほどの大きさだったことからヒントを得たという説もある。(岡.)

【用語解説】
【関連作品】
「B08荒事と隈取・役者と紋」