G10塗り絵、押絵

「重ノ井 嵐璃寛」「三吉 浅尾小玉」
English Commentary
絵師:無款 判型:小判/押絵2枚続
出版:嘉永年間(1848)~安政年間(1860)大阪
資料番号:arcUP1689 所蔵:立命館ARC.
【解説】
 現在でも、塗絵は、子供から大人までが楽しめる遊びとして、人気は衰えていないが、江戸時代にも、版画による大量出版が可能となり、塗り絵用の絵と思われる墨線だけの安価な浮世絵が売り出されていたよう。アート・リサーチセンターには、役者絵を中心とする京都や大阪で出版された塗り絵用の浮世絵が大量に所蔵されている。塗り絵として、またそのまま役者絵の廉価版として販売されていたのであろう。また、絵の具を使わずに、小切れを切抜いて絵に貼り付け、立体感を持たせたものを押絵というが、小切れと一緒に売られていることもあったらしい。
 本作品は、押絵であり、丁寧に各パートに相応しいデザインの裂が張込まれている。もともとは、左図のような1枚の墨摺絵である。こちらは、三吉と重の井の親子が1枚の画面に描かれているが、やはり「重の井子別れ」と呼ばれる「恋女房染分手綱」の一場面である。
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 由留木家の息女の調姫は入間家の養女に行くことになるが、見知らぬ土地へ行くことを嫌がる。そこへ子供の馬子の「自然薯の三吉」が来て、道中双六を見せ、その双六を気に入った調姫(しらべひめ)の機嫌を直した。三吉に褒美の菓子を持ってきた姫の乳人重の井は、三吉を自分と伊達の与作との間にできた子供だと悟るが、大名家の乳人という立場から体面を考えあえて名前を名乗らずに別れることになる。
 こうした芝居の内容を大人たちに聞きながら、塗り絵や押し絵に勤しんだもののようだ。目の前に母親がいるにも関らずそれに気付かない子供の気持ちは、遊んでいる子供たち当人にも、理解できたであろう。
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 一方、それが錦絵になると、左図のような画面となる。同じ版画で、同じ場面を描いたものであるが、比較することでそれぞれのメディアとしての特徴を理解することができるだろう。(藤.)