G08芝居双六

「大新板四条北南芝居 顔見世役者大当狂言尽」
 English Commentary
絵師:無款 判型:大々判/合羽摺絵
上演:安政6年(1859)11月京都・北座、南座
資料番号:arcSP02-0258 所蔵:立命館ARC.

【解説】
 双六の歴史は古く、『日本書紀』に既に記述があり、正倉院御物にも朝鮮渡来の双六がある。絵入の双六は、仏法双六から生れたものと言われており、13世紀後半頃から使われていたようである。江戸時代に入ると、印刷技術の普及により、最初は墨線一色の双六であったが、錦絵の技術が加わって、多色摺の豪華な双六が流行り出した。形式的な種類としては、振り出しから上がりまで区画を順に回る「回り双六」と、賽子の目の指示で回る「飛び双六」、あるいはそれを複合させた「飛び回り双六」があった。
 双六の場合も、役者絵を描く浮世絵師達によって、歌舞伎を題材とした双六も数多く生み出された。双六には、コマ割りでマスがあり、それぞれのマスを使って絵を描くことができるので、絵双六は様々な趣向を凝らすことが可能であったが、歌舞伎の場合、オーソドックなものとして、歌舞伎の演目のストーリーを上演順に沿って描くものが多く、その他にも、ある演目に使われた道具だけが描かれたもの、芝居の楽屋のなかを描いたもの、様々な役に扮した役者を並べたものなど、種類は千差万別である。現在、古いものでは、享保期(1716-36)の歌舞伎双六が知られている。
 一方、京都では、寛政頃から顔見世興行には、決まってその演目の「飛回り双六」が売り出された。これらは、着色したい部分を切抜いた型紙を使う合羽摺で彩色されている。しかし、この京都の歌舞伎双六はコマの数が少なく賽の指示が単純なため、遊戯としてよりは、愛好家のために出版されたもののようである。(藤.)