C1-3 山姥の母性.

「山姥と怪童丸」

絵師:菊川英山 判型:柱絵錦絵
出版:文化後期(1811~1817)
所蔵:立命館ARC  所蔵番号:arcUP6340~6341.


【解説】
 金太郎は山姥の子として誕生した。金太郎の母は実は遊女八重桐であり、山姥の姿は成れの果てである。山姥とは山の奥に住むという老女の妖怪であるといわれている。しかし金太郎の母と金太郎の姿からは山姥の恐ろしい姿は感じられない。山姥は恐れられる面を持つ一方、福をもたらしてくれる一面も兼ね備えている。この山姥の印象が成立していく過程には山間で生活する人たちへの里人の畏怖心や山の神に仕える巫女についての印象、山の神との影響関係なども含まれている。
 山姥こと八重桐は人から人ならざるものへ変化した存在である。その山姥の子は人ならざる力を持っていたにもかかわらず、人という存在に変わった。しかし山姥と金太郎の描かれる姿は異形のものを描くようではなく、山姥の我が子をいつくしむ姿、金太郎の子供らしいあどけなさが描かれている。「山」に入り人ならざるものとなった山姥。「山」から出て人ならざるものを脱した金太郎。「山」がこの二人には客観的に人ならざるものとしての境界ではあるが、二人の姿はごく普通の親子の姿である。金太郎という存在によって山姥は恐れられるだけの存在ではなく美しい女性としての一面も知られるようになったのである。
 本図は、英山の筆にかかる山姥と怪童丸である。寛政期から清長や歌麿が多く手がけた画題である。浮世絵としては、むしろ山姥を美しい美人として描くところに眼目があったと思われるが、それだけに、怪童丸を慈しむ母性が強く表現される。画中に「山姥か山又山のやまのてに かくれもあらぬ菊川の筆」とあるが、狂言作者鶴屋南北の狂歌と推測される。(宮).