F1 六条御息所.

 平安時代、『小右記』を始め数々の記録類や文学作品に死霊や物の怪の類が描かれる中、「生霊」の存在を明確に記したのは『源氏物語』が初めてだった。『源氏物語』以前は、人間と物の怪は完全に隔てられ、両者の間には明確な境界が存在していた。しかし紫式部が描いた生霊の存在が、人間と物の怪を交錯させ、人間が境界を越えた異界の存在になり得ることを伝えている。
 その『源氏物語』において、夕顔と葵上をとり殺し、紫上を危篤に陥れ、女三の宮を出家に至らしめた生霊が六条御息所である。高貴な身分に相応しい美貌、品位、知性を兼ね備え、一時は宮廷社会の第一線に君臨しながらも、皇太子の夫に先立たれたことでそれまでの栄華を失った御息所。更には唯一の心の癒しだった年下の恋人・光源氏にも見放されてしまう。権力から遠のき、最後の愛をも失った御息所は、かくして異界の存在へと変貌を遂げていく。
 作り物語によって生まれた、生霊・御息所の心に巣くった「鬼」の恐ろしい逸話は、能や歌舞伎などの芸能、文学、絵画などの題材となり、1000年以上たった現在でもその魅力を失うことがない。(三).