F0 能の鬼女.

 本コーナーでは、能楽において、三鬼女と並び称される三作品『葵上』『黒塚』『道成寺』を取り上げる。これらの能では、後シテは般若の面をかける。般若は、女の恨みや執心を表現した象徴的な面を使用するが、この面は恐ろしさやおどろおどろしさだけでなく、その奥にある女の悲哀を残している。彼女らは人として生きていた過去を持つ。そもそも此方の存在であった女たちが、怒りや嫉妬のために境界を飛び越え、人から鬼の領域へと迷いこんでしまったのである。
 「葵上」における六条御息所は光源氏への未練・執着、あるいは日陰である自らの対極に存在する日向の存在である葵上に対する嫉妬・恨みをもって。「黒塚」における一つ家の老婆は自らの浅ましき姿を見られた羞恥、あるいは過去への痛烈な悲哀によって。「道成寺」の白拍子はその身すら焦がす恋慕、そしてそれを裏切られた怒りによって「人」から「鬼」へと変貌する。
 境界を越え、此世の者でなくなった彼女たちは、此方から彼方へ向かう一方、再びこの世へ戻って来ることができる。あくまでも境界を守護し行き来する頼光らや、異界から境界を越えてやってくる天狗や男の鬼などと対比し、能においては、「女」は此方と彼方を往き来することで物語を作り上げるのである。(柴a).