F3 道成寺.
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紀州道成寺をめぐる安珍・清姫伝説は、平安時代の『大日本国法華験記』や『今昔物語集』、『元亨釈書』などに取り上げられており、その内容はほぼ一致している。そして、それを踏まえて絵巻「道成寺縁起」が成立したが、これは室町時代まで下ったものである。
紀州真砂に宿をとった若僧は、宿の女房に言い寄られる。僧は帰路に再び寄ることを約束して、熊野に向かう。しかし、帰りは道を変えて下向したため、女房は怒り若僧を追っていく。必死で逃げる若僧は、大出水となっている日高川で、渡し船に乗って渡ってしまうので、女房は怒りの余り衣服を脱ぎ捨て大蛇となって渡っていく。
道成寺に逃げ込んだ若僧は、鐘の中に隠れると追付いた大蛇は、鐘を巻き焼いてしまう。中からは、骸骨が残るだけだった。その後、道成寺の老僧の夢に二匹の蛇が現れ、僧の回向によって執心から解放され虚空に飛び去った。この説話でも、女は川という境界を渡ることによって、大蛇へと姿を変えている。
これが芸能に入ると廃曲「鐘巻」を承けて、現行の「道成寺」が成立する。能では女房ではなく娘の執心と変じるが、それが蛇となって残ったのち白拍子に身を変え、再びこの世に現れて新たに鋳造し直した鐘を焼き、日高川に飛び込むという後日譚としているところが注目できる。つまり、女は川を通路として彼岸と此岸を往き来しているのである。
歌舞伎や浄瑠璃の「道成寺」物もこの系統を引き、数多くの作品が作られるが、歌舞伎では「京鹿子娘道成寺」が歌舞伎舞踊曲の代表として、浄瑠璃では道成寺物の歌舞伎に刺激を受けて「道成寺現在鱗」が書き下ろされ、「日高川入相花王」の日高川の道行きの場が歌舞伎化もされて現在も上演される。(中a).
【参考図】
『能楽百番』「道成寺 前シテ」
絵師:月岡耕漁 判型:大判錦絵
出版:大正13~15年(1924~1926)
所蔵:立命館ARC 所蔵番号:arcUP1365.【補説】
『今昔物語集』以前に記された伝承は、世に広く伝わっている悲恋の物語ではなく、法華経の霊験譚としての色が強い。また、女主人(清姫として知られる)が、若い娘ではなく、夫に先立たれた寡婦として伝えられている点に『今昔物語集』以降の伝承や、能や歌舞伎における女の設定との相違がある。『今昔物語集』巻十四第三
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二人の僧(老人、若い美男子)が、熊野に向かう道中で宿を取った。その宿の女主人は、若い美男子の僧に一瞬で恋心を抱いてしまった。女主人は、その若い僧に甲斐甲斐しく世話を焼いた後の夜、若い僧の寝ている部屋に這入っていった。それに驚いた若い僧に、その女主人は「私は一度も我が宿に人を泊めたことがないが、あなたをお泊めしたのは夫にしたいと思い定めたからだ。」と言ったが、それを聞いた若い僧は驚き恐れてこれを断った。しかし女主人は諦めなかったため、若い僧は「熊野詣から戻ってきたらあなたの望むようにしよう。」と約束した。女主人はその約束の日を心待ちにしていたが、二人の僧が一向に戻ってこないため、熊野から来た僧に行方を尋ねると「二・三日前に帰った。」と言われた。これを聞いた女主人は、怒り恨み悲しんで死んでしまった。その後まもなく、女主人は大蛇となり二人の僧の行方を追った。それを人伝いに聞いた僧たちは、道成寺に走り逃げ込んだ。道成寺の僧たちにわけを話して、取り下ろした大鐘の中に若い僧をかくまってもらうが、大蛇に鐘楼を尾で叩き割られてしまい、恨みの炎で若い僧はその大鐘ごと焼き殺されてしまった。大蛇は血の涙を流してもと来た方へ去っていった。
その後、道成寺の老僧の夢に、前の蛇(女主人)よりも大きな大蛇(若い僧)が現れ「毒蛇となった悪女に捕らわれたために、その夫となり無量の苦を受けている。どうか法華経の如来寿量品を書写して、我ら二匹の蛇のために供養を施し、この苦しみから解放してほしい。」と頼まれた。老僧は、その蛇の言う通りに法華経の如来寿量品を書写して供養した。その後、老僧の夢に一人の僧と一人の女が現われ、老僧に「あなたの供養のおかげで蛇身を捨て、女はトウ利天に生まれ、僧は都率天(とそつてん)に昇ることができた」と喜び伝えた。夢から覚めた老僧は喜び泣いて、法華の威力を尊んだ。
【参考文献】
福永武彦『今昔物語』(筑摩書房,1991)
阿部真司『蛇神伝承論序説ー清姫の原像を求めて』(新泉社,1986) -