A2 酒呑童子伝説.

 酒呑童子伝説の起こりは南北朝時代といわれており、それを伝える現存最古の作品は逸翁美術館所蔵『大江山絵詞』である。ここで描かれたストーリーは、その原型を保ちつつサントリー美術館所蔵『酒伝童子絵巻』、御伽草子『酒呑童子』などをはじめとする数々の伝本を生み出した。
 一条天皇の時代、都で人さらい事件が頻発したため帝が占わせたところ、それは大江山に住む鬼神の仕業であるという。帝は源頼光、碓井貞光、卜部季武、渡辺綱、坂田金時、平井保昌らに鬼退治を命じる。頼光らは、岩清水八幡、住吉明神、熊野権現の神々に鬼退治の成功を祈願し、大江山へと向かう。神々は道中、人間が飲めば薬となり鬼が飲めば毒となる神便鬼毒酒(※注)と星甲を頼光に授ける。洞窟を抜鬼の屋敷にたどりついた頼光ら。酒呑童子は、彼らを招きいれ、血の酒や人肉を肴としてふるまうなどして酒宴を開く。頼光は時機を見計らい酒呑童子とその眷属に神便鬼毒酒を飲ませると酒呑童子は酔いつぶれて奥の部屋で寝てしまう。再び神々の加護を得て一斉に攻撃を仕掛け、ついに酒呑童子の首をはねたが、その首は天に舞い、頼光の頭に噛み付いたが星甲のおかげで無事であった。鬼の眷属も難なく討伐する。かつて渡辺綱に腕を斬り落とされた茨木童子も討ち取られた。頼光らはさらわれていた人々も救い出し、都へと戻った。
 酒呑童子伝説も典型的な鬼退治の話であり、都の王権を守るために、危険を惜しまず境界を越える大江山に入っていく英雄達の姿が見えてくる。大江山は現在は京都府福知山市と与謝野市、及び宮津市にかかる千丈ヶ嶽大江山とするのが通説である。しかし大江山伝説が誕生した平安時代から鎌倉時代の京都における「おおえやま」といえば山城と丹波の国境にある「老ノ坂大枝山」の方が連想されていた。この大枝山は洛中と丹波国を隔てる交通の要所であり古来より都の出入口であった。また、平安前期以来疫病の都への侵入を防ぐ「四堺祭」が行われていた。この祭祀が行われていた記憶により大枝山の境界の地としての具体性は増していき疫神、鬼気の跋扈しやすい場所として当時の人々から捉えられていたことが窺える。(小a).

【参考図】
『源頼光大江山にて酒呑童子を退治し給ふ』

絵師:歌川国芳 判型:大判錦絵
出版:天保後期(1835~1840)
所蔵:舞鶴市糸井文庫  所蔵番号:01ル43.