F3-2 供養と乱拍子
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『能楽図絵』道成寺
絵師:月岡耕漁 判型:大判錦絵
出版:明治33年(1900)
所蔵:立命館ARC 所蔵番号:arcUP0849.【解説】
白拍子である女が釣鐘の供養の場に現れ、乱拍子を舞っている場面が描かれている。この後、女は釣鐘に入り蛇と成り果てた姿で現れるため、この絵はまだ釣鐘に入る前の人間としての女の姿が描かれている。頭には烏帽子を身に着け、右手には乱拍子を舞う際に使用される扇が描かれている。また、同作者の『能楽百番』では描かれていなかった女(白拍子)以外の存在が、『能楽図絵』でははっきりと描かれている。舞台とされる道成寺の住職をはじめとし、従僧、能力(のうりき)など、物語の始終を通して人間であり続ける存在が、後に蛇となる女との対比となり、『能楽百番』とはまた異なるこの世とこの世ならざる世界との境界を生み出している。また、白拍子の右足の先が少しだけ上げられていることから、後半の激しい急ノ舞ではなく、乱拍子(爪先や踵の上げ下しを繰り返し、長い静止の間に身をくねらせるような動作を挟みながら約30分間舞う)を舞っているのではないかと考えられる。この舞は、静止が大半の構成を占めていることから、この絵が描かれた場面を過ぎた後、住職らは次第に眠りに誘われていったことだろう。絵の右端から住職(ワキ/紫水衣・金入角帽子沙門など)、従僧二人(ワキツレ/水衣・角帽子など)、中央に白拍子(前シテ/近江女・鱗箔唐織・黒地縫箔など)、中央後から左端にかけて能力二人(アイ/能力頭巾・水衣など)の並びで描かれている。
この絵で注目すべき点は「白拍子」の存在である。白拍子とは、女性が男性のなりをして男舞(おとこまい)を舞うものであり、その白拍子の特徴である烏帽子は当時の青年男性の正装であったことから、身に着けることで女性という性別の枠を逸脱して男性に近づき、男性と対等に生きていこうと考えた女性のことを指す。その考え方から、白拍子と名乗る女は、能力に性別を超えた存在(女ではない)と判断され、本来ではありえない女人禁制の釣鐘供養の結界の中に入れたのである。能『道成寺』では、白拍子が乱拍子を舞っている際、烏帽子を身に着けているときは何も起こらないが、舞が進むにつれて動きも激しくなり(急ノ舞)、扇を振り上げたときに頭から烏帽子が跳ね落ちると途端に釣鐘が女の上に落ちてくる。これは、男性の象徴ともいえる烏帽子を身に着けていた間は男性として白拍子は存在していたが、烏帽子を落とした途端に女性となったことで、女人禁制の禁忌に触れて釣鐘が落ちてきたのだと考えられる。この釣鐘に入って女(白拍子)は蛇となり、この世のものではなくなる。したがって、この釣鐘と女との間にも、この世とこの世ならざる世界の境界が生み出されたと考えられる。
また、使用されている面は「近江女(流派によって曲見)」である。若い女を表す際に用いられる面であり、高貴な女性のように内に感情を秘めているような表情ではなく、頬を朱色に染めて色気を全面的に表し外に感情をさらけ出すことによって、恋を捨てきれない女の執念が引き立っている。加えて眼球の穴が、他の女の面は四角にくりぬかれているのに対し、丸くくりぬかれていることが特徴である。(中)
【参考文献】
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石井倫子『能・狂言の基礎知識』(角川学芸出版,2009)
細川涼一『逸脱の日本中世』(筑摩書房,2000) -