C1 五十両.

作品名:「斧定九郎 坂東彦三郎」
上演:文久2年(1862)3月 江戸・中村「仮名手本忠臣蔵
絵師:歌川豊国〈3〉
判型:大判錦絵
所蔵:立命館ARC(arcUP1730).

 五段目のあらすじは以下の通りである
 早野勘平のためにおかるを祇園へ百両で売り、その半金五十両を縞の財布に入れて帰路を急いでいたおかるの父、与市兵衛。彼は斧九太夫の息子定九郎に追いはぎされて殺されてしまい、五十両が定九郎に奪われてしまう。定九郎はその後猪狩をしていた勘平に誤って撃たれて死んでしまい、勘平は定九郎が持っていた五十両を、与市兵衛のものと知らず持って帰ってしまう。
 これは定九郎が与市兵衛を殺す場面である。

 定九郎の役は徐々に洗練化されていった。初代中村仲蔵により扮装は写実的な浪人者になり、明治に入ってからはセリフも「五十両」の一言となっていった。
 また定九郎は早替りが行われることもある。定九郎と与市兵衛だけでなく、二人に加えて勘平の早替りというのもあった。定九郎と与市兵衛は掛稲を用いたもので、定九郎と勘平は定九郎が死ぬ所を代役で行って勘平が出てくるというものが多い。

 図は与市兵衛を殺す直前、縞の財布を口にくわえ刀を構えるという場面である。すなわちこの定九郎の前には与市兵衛がいることとなる。同じ場面を描いた他の作品では与市兵衛をともに描いているものもある。この作品に与市兵衛が描かれていないのはこれが続物である可能性もあるが、続物でも一枚物でも定九郎の姿がよく目立つ一枚といえる。(堀)