B2 隠された太閤記

文化元年(1804)の『絵本太閤記』の絶版、および関連の錦絵の筆禍事件によって、天正以降の武者の名前を錦絵に表すことは禁じられた。しかし、新しい武者画題であった太閤記の題材は定型の図像が認知され、その後は、他の時代の題名・人物名に置き換えた錦絵が作られるようになった。ことに、歌川国芳は天保以降、多くの太閤記の絵を描いている。  これらの作品見る時は、画中の題ではなく、描かれている図像のかたちによって内容を認識しなければならない。多くの図像は『絵本太閤記』の挿絵を規範としているので、共通する図像の要素を知ることが必要である。ここでは『絵本太閤記』中、錦絵に取り上げられている主な題材と関連する錦絵を展示する。