関羽

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かんう


総合

歌舞伎十八番のひとつ。元文二年(1737)11月江戸河原崎座『閏月仁景清』一番目大詰めで二代目市川海老蔵(二代目市川団十郎)初演。

悪七兵衛景清が張飛に扮し蒲冠者範頼の館に忍び入ったとき、畠山重忠が関羽となり、長髯を生やし青龍の太刀を小脇に抱え、白馬に乗って現れ、張飛を景清と見顕す。かんう


画題

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解説

(分類:武者) (分類:戯曲)

画題辞典

関羽、字は雲長、解の人、蜀漢の劉備、張飛と三人、生死を同うせんことを約す、魏の曹操の下邳を撃つや、羽その捉ふる所となる、羽功を樹てゝ蜀に帰らんとし、顔良を斬りて帰を求め、許されて還る。後劉備帝位に即くに及び前将軍に拝せられ荊州を鎮す。已にして呉の孫権の為めに破られ、呉の将軍呂蒙の為めに獲られ、害に会う、後世支那に於ては羽を祀りて関帝と称し、到る所に祠あり、赤顔長髯は其形相にして又屡々画かるゝ所なり。

清国楊津画く所宇治万福寺にあり、狩野伊川の筆帝室博物舘にあり。松平樂翁、谷文晁、松村景文等の作亦知らる。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

いま台本が伝はつてゐないが、東山殿義政公が奈良の里の傾城桂木の色香に耽つて政を顧みない山名弾正久国等の陰謀により東山殿の身が危くなる、大詰に唐土蜀の関羽が長鬚を生し青竜刀を小脇に抱へ白馬に跨つた姿で一軸から抜け出て久国等の悪人を一刀のもとに討つ、絵双紙売に身をやつした細川勝元右大弁友道現はれて、絵の奇跡に感じ東山殿は安泰となる。  (歌舞伎細見)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


(一)支那三国時代、蜀の武将、劉備玄徳、張飛と共に桃園三傑と称せられ赭顔にして美鬚、支那では武神として尊崇せられ、明の万暦中恊夫護国忠義大帝に封ぜられ、民国の三年には岳飛と共に武廟に合祀された、これを祀る関帝廟は支那到る処にあつて人々崇拝の的となつてゐる。

関羽、字雲長、本字長王、河東解人也、亡命奔涿郡、先主於郷里合徒衆而羽与張飛為之禦侮、先主為平原相以羽飛、為別部司馬、分統部曲、先主与二人寝則同牀、思如兄弟、而稠人広座侍立終日随先主周旋不避艱険。  (三国史蜀書)

後、孫権呂蒙の計を用ひ荊州に関羽を破る、関羽其子平と共に害さるゝに至る。

関羽の像は軍神として尊崇される処から極めて多い。

狩野伊川院筆  帝室博物館蔵

渡辺崋山筆   渡辺華石氏蔵

長沢芦雪筆   中川子爵家旧蔵

谷文晁筆    文晁遺作集所載

土佐光芳筆   池田侯爵家旧蔵

(二)歌舞伎十八番の一に関羽がある、二世市川団十郎により元文二年河原崎座に上演されたもので、内容は詳でないが、輪劃は東山殿義政公が奈良の里の傾城桂木の色香に迷つてゐるのを機に山名弾正久国等が陰謀を廻らし東山殿を討たうとする、大詰に蜀の関羽が長髯を生し青竜刀を小脇に白馬に跨つた姿で一軸から抜け出で久国等を一刀のもとに討ち、絵双紙売に身をやつした細川勝元右大弁友道等が現はれて絵の奇跡に感じ入り東山殿は安泰となる。  (歌舞伎細見)

これを絵にしたものに豊国の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)