市川団十郎

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市川 団十郎 いちかわ だんじゅうろう  Ichikawa Danjūrō


総合


歌舞伎

歌舞伎の代表的な役者名。定紋三升。屋号成田屋。江戸歌舞伎の宗家一、初世の創始になる荒事の伝統を守り、初代市川団十郎から現在12代目まで数える。中でも二世、四世、五世、七世、九世が最も名高い。替紋に杏葉牡丹

初代

1660(万治3)-1704(宝永1)、45歳。 江戸の和泉町で生まれ、宝永元年怨恨のために俳優の生島半六に舞台上で刺されて死亡する。幼名海老蔵

延宝元年(1673)市川段十郎として初舞台で坂田金時に扮し、ロマンチックで豪快な演技で荒事という誇張した演技を創始、喝禾を博した。

延宝8年頃からは三升屋兵庫の名で戯曲をも創作、自作自演で元禄期の代表的名優となった。 初代市川団十郎略年譜

二世

元禄元年-宝暦八年(1688-1758) 前名は九蔵、海老蔵。初代の長男。 元禄十(1697)年五月中村座「兵根元曽我」で初舞台をふむ。容姿体格は父によく似て、技芸も武道荒事を得意としたが、さらに和事を巧みに加味し、歌舞伎の成長に貢献した功労者。初代が舞台で斃れた年、元禄十七(1704)年に二代目団十郎を継ぐ。 二代目団十郎略年譜

四世

正徳元年-安永七年(1711-1778) 前名二世松本幸四郎、海老蔵。 女形から立役、さらに実悪になり名声をあげた。俗に「木場の親玉」と呼ばれた。

五世

享保元年-文化三年(1741-1806) 四世の子。前名三世松本幸四郎。晩年蝦蔵と改めた。 はじめ実悪で名をあげたが、襲名後、実事を主とし、女形も兼ねた。寛政期(十八世紀後半)の江戸を中心とする歌舞伎全盛時代の名優。

七世

寛政三年-安政六年(1791-1859) 前名新之助、晩年海老蔵。 江戸末期の代表的名優。小柄であったが眼が大きく、りんりんたる名調子。時代物世話物生世話物、荒事、和事役、柄も実悪から若女方、さらに所作などと、芸域広い万能役者。江戸歌舞伎の集大成者として、新作に古典に活躍した。また、能の「安宅」を歌舞伎に移して勧進帳を創演、市川家の伝統的技芸を発揮した狂言を選んで歌舞伎十八番を制定した。

九世

天保九年-明治三十六年(1838-1903) 七世の五男。前名河原崎権十郎、権之助、のち市川家へ復帰。 明治劇壇の巨星。容貌、音声ともによく、弁舌に優れ、父七世同様多方面の役によく、とくに時代物及び所作事に本領を発揮した。活歴物を創始し、写実的で典雅な演技により歌舞伎の更生に努力した。天覧劇などにより俳優の社会的地位の向上にも尽くした。弁慶、高時、家康、長兵衛、春日局などが当たり役。

十代目

(1882-1956) 九世の女婿市川三升(さんしょう)が没後追贈された。

十一代目

七代目松本幸四郎の長男。十世の養子に入り、九世市川海老蔵を襲名。

十二代目

十一代目の長男。前名十代目市川海老蔵。 なお、子に十一代目市川海老蔵がいる。

13代目

十二代目団十郎の長男。