岳飛

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がくひ


画題

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解説

画題辞典

岳飛は宋の武臣なり、字は鵬挙、渇陰の人、徽宗の宣和中募集に応じて功を累ね、精忠岳飛の四字を記せる手書の旗を賜わり、鎮南軍承宣使江南西路治江制置使を授けらる。宋衰えて北方金国の為めに苦しめらるゝに及び、奮戦孤忠、大に宋の為めに気を吐きたり、平素背に尽忠報国の四字を鯨せりという。以て其忠誠を見るべし、「文臣銭を愛まず、武臣死を惜まずんば、天下泰平なり」の一語も、彼が語にして、世に著名なる事なり。支那に於て、後世武神となし関羽と合祀して尊崇せらる。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那南宋の名将、字は鵬挙、相州湯陰の人、少より学を力め最も左氏春秋、孫呉兵法に通じた、膂力衆に超え、射を善くした、靖康の難に勤王の召に応じて起ち初め劉韐に隷し、後に宗沢に属し屡々殊功を立て名漸く著はれ、挙げられて江淮の統制となる、連に金及び斉の軍を破り、隋郢を復し又巨賊李成、楊么等を討つて湖広を掃蕩した、高宗嘗て其功を賞し、精忠岳飛の四字を書いた旗を賜ふ、河北京西招討使より湖北京西西宣撫使に転じ位地張俊、韓世忠と等し、岳飛もと微賎より起るを以て俊等心平かならず、飛己を屈してこれに下るも嫌忌徒に深く、高宗の平江より建康に往くや、これに扈従し、間を以て恢復を疏論したが秦桧に阻まれ会々母の喪にあたつて去る、高宗努めてこれを起し、鎮に還らしむ、已にして金兵四道より来犯す、岳飛これを破つて河南の侵地を復し其主将兀求を撃つて擒にせんとし進んで朱仙鎮に至り、将に日を指し河を渡り黄竜府に抵らんとした、然るに秦桧和を主唱したので高宗之を召還した、岳飛一日金字牌十二を奉じ憤慨して曰く十年の功一旦に廃すと遂に已むなく師を斑す、時に紹興十年である、翌年枢密副使となり尋で罷む、此時に当り、宋に名将ありと雖も岳飛の右に出づるものなく、金人最も之を恐れた、その主将兀求、書を秦桧に与へて曰く、和を成さんと欲せば先づ飛を殺せと、張俊強いて飛の罪を構へ、遂に岳飛を捕へて獄に下し其子雲及張憲と共に之を殺す、岳飛時に年三十九、金の人、岳飛の死を聞き酒を酌んで之を祝したといふ、後、孝宗の時、鄂王に追封し武穆と諡した。

人物画として描かれたもの少くない。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)