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総合

小倉擬百人一首 76番 法性寺入道前関白太政大臣

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和田の原こぎ出て見れば久かたの雲井にまがふおきつしら波

翻刻:異名は世に知る袴垂 賊巣は洛東瑞竜山の楼門 一度高位の姿となり 忍術を以て営中へ入るといへ共 名器の為に事顕れ 大力の衛侍に生捕たり (柳下亭種員筆記)

一勇斎国芳 彫竹 名主単印(濱)


歌意:大海原に船を漕ぎ出してみると、沖に立つ白波は雲に見まごうよ。

 「わたの原」は大海原の意。すでに11番の篁の作に見出された語である。  「雲居」は、空とも、雲そのものとも解しうるが、ここでは雲と解した方が躍動的な風景を想像できると考える。


[余説]

中古時代では、「袴垂」と「保輔」とは別々の盗賊だった。近世の歌舞伎顔見世狂言の『御贔屓竹馬友達』文政五年(一八二二)江戸、市村座初演で、市原野の月夜の晩に、盗賊袴垂保輔と鬼同丸とが、いずれも平井保昌の身辺をうかがいながら寄って、三人だんまりに至って初めてその名が定着。常磐津節・富本節もそれを継承している。ここの国芳画は、盗賊袴垂の立姿を画面いっぱいに、髪型は悪七兵衛と同様な百日毬栗頭に、大きな葛篭を背負っている。  引用・参考)〔古典聚英9〕浮世絵擬百人一首 豊国・国芳・広重画平成14年(2002),吉田幸一,笠間書院

この歌と人物像のつながりは言語のレベルにおいて、たったひとつだと思われる。歌の最後の「しらなみ」、この表現は「盗賊」という意味で使われている。にもかかわらず、雲と波と混同は袴垂の忍術による魔力の示唆を意味することができる。  The Hundred Poets Compared" A Print Series by Kuniyoshi/Hiroshige/and Kunisada 2007,Henk J. Herwig/ Joshua S. Mostow,Hotei Publishing


[袴垂とそれにかかわる人物たち]

まず、袴垂保輔とされる人物は、近世の歌舞伎以降同一人物だと誤解されがちだが、実は別々の人物である。

●袴垂は平安時代の大盗賊、ただし伝説上の盗賊で、史書には記録されていない。今昔物語巻二十五の七「藤原保昌朝臣、値盗人袴垂語」宇治拾遺物語二十八「袴垂、保昌に合う事」に、十月ごろ衣類が入用になった袴垂が、道で笛を吹いている保昌をみつけ、着物を奪うため、いつ襲い掛かろうかとじりじりしているうちに、保昌のただならぬ気配にだんだん怖くなっているところ、保昌自身が袴垂を自邸に誘い、綿の厚い着物まで与え、「見知らぬ人を襲ったりして、けがをするなよ」と優しい言葉をかける。後に捕らえられた袴垂はこの出来事をただもう薄気味悪かった、と語っているという話がある。また、今昔物語巻二十九「袴垂、於関山虚死殺人語」には、大赦によって出獄された袴垂が関山(逢坂山)で死んだふりをし、通りかかった武者を刺し殺して衣服・武器を奪い、東の方へ馬を馳せさせているうちに、三十人ほどの盗賊の集団と化していった、という袴垂の機敏な行動と統率力を表している話もある。 

●保輔とは、藤原保輔のことである。 『尊卑分脈』に、強盗の張本、本朝一の武略、追討の宣旨を蒙ること十五度、後、獄に禁ぜられて自害、とある。保輔は、家の奥に蔵を造って深い穴を堀り、商人を呼びつけてはつき落として殺し、品物を奪い取っていた。また、宮中をおし歩いて盗みを重ねていたが、どういうわけか、捕らえられることもなくすんでいる(宇治拾遺物語)しかし、保輔の悪行も世間に広まり、永延二年六月十三日、保輔が藤原顕光邸にひそんでいるという情報が流れた。検非違使の役人はもとより、武芸の者は滝口にいたるまで駆けつけて、顕光邸を取り囲んだが保輔は見つからない。朝廷は、保輔の父に対し、三日以内に保輔を差し出すよう命令し、京の町は保輔のことでパニック状態になっていた。保輔は執拗な追及にどうにもならなくなり、北山花園で出家した。そのあと保輔は、友人、忠延のところに現れた。その忠延がはかりごとをめぐらし、密告。保輔は逃げることができず、ついに腹を切り、腸を引き出した。検非違使たちはそこを捕らえて獄舎へ入れたのだが、保輔は翌日死ぬ。忠延は、褒美として位を得たという。(続古事談・日本紀略)

●上の話で出てきた、平井保昌という人物はこの保輔の兄である。この一族は藤原北家との権力争いに敗れ、陽の当らぬ身となった。兄の保昌は北家の道長に接近して立身の道を考えるが、弟の保輔は北家におもねることを潔しとせず、盗賊となってゆく。保輔が死んだ時、保昌は29歳である。この年齢からみて、保輔は20代半ばで盗賊の長となり、28歳以下の年齢で死んだらしい。保昌には弟を獄死させたという苦い経験がある。そのような心の痛みが、袴垂に対する温情となったものであろう。(国史大辞典) これが後世、読者の誤解を招き、袴垂と保輔とを同一人物とする伝説が成立していったのである。

●『御贔屓竹馬友達』で現れた鬼同丸とは、『古今著聞集』巻九に、源頼光を市原野で襲撃しようとした童髪の盗賊という人物がモデルである。源頼信邸で自分をきつく縛り上げさせた頼光に恨みを抱き、殺した牛の腹に隠れて頼光に頼光を待ち伏せしたが、頼光に牛ごと射られ誅されたエピソードから、鬼同丸は歌舞伎において「四天王」「前太平記」の世界の中で、頼光に抵抗する悪党として多く取り上げられるようになった。市原野の場面は幕末にはだんまりの趣向が取られるようになり、文政五年十一月江戸市村座の御贔屓竹馬友達の中では「鬼同丸実は袴垂保輔」として、たびたび保輔と同一化された。

●平井保昌が関係している四天王は、大将である源頼光を中心とした渡辺綱、坂田金時、碓氷貞光、卜部季武の四人の家来が構成している。歌舞伎狂言、人形浄瑠璃、歌舞伎舞踊では「四天王物」という枠があり、頼光と四天王の武勇伝が多く描かれている。保昌は主人である頼光の身代わりの先駆をする役目にあった。また袴垂や鬼同丸もこの作品群に登場する。


[袴垂と忍術]

袴垂保輔のエピソードの中には、どこにも、袴垂が忍術を使い、宮中に忍び入るという話が載っていない。それどころかそもそも忍術を使うというエピソード自体がない。小倉擬百人一首のこのシーンの基になった原作がない。今昔物語の最後の部分にも、捕らわれた後の袴垂が描かれているが、なぜ、どこで捕らえられたかという記述はどこにも書かれていない。

袴垂が忍術を使うという記述を検証したい。翻刻に乗っていた、袴垂の住みかといわれる瑞竜山とは、瑞竜寺のことと思われる。瑞竜寺は日本各地にいくつかあるのだが、おそらく現在滋賀県近江八幡市宮内町にある寺院のことで、この寺院はもとは京都今出川村雲に所在していた、日蓮宗の尼寺である。しかしこの寺は慶長五年豊臣秀吉の姉瑞竜院妙恵が創設したものなので、当然袴垂の時代に存在するはずがない。よって、どこにもそんな記述はのっていない。また、翻刻に袴垂は百日いがくりという頭をしている、とかかれており、百日いがくりとは、坊主が出家のために髪を剃ったあと、そのまま放置しておいて髪が伸びてしまった状態のことをいう。ということはつまり袴垂が出家をして、妖術を学んでいたということにつながるのでは・・・という考えになったが、日本を代表する盗賊の浮世絵を見ていくと、みな袴垂とよく似た髪形をしている。 そこで、実際日本の盗賊たちとの比較をしてみた。日本の盗賊、藤原保輔、熊坂長範、交野八郎、大殿小殿、石川五右衛門、因幡小僧、尾形児頼也など大勢いる中、唯一袴垂の翻刻の記述とよく似た人物が石川五右衛門である。石川五右衛門は安土桃山時代の大盗賊であり、伊賀忍者といわれている。この時点で彼が忍術を使えることがわかる。伊賀忍者ではあるけれども、生まれは河内(京都)、丹後、伊賀の説がある。子供の頃から悪知恵が働く乱暴者で、父が病死すると田畑を売り払って、伊賀の忍者百地三太夫の弟子になったという。やがて習い覚えた忍術を使って盗賊を働く。盗みを重ねるうちに、手下も増え、ついには名だたる大盗賊の首領になった。また、「絵本太閤記」によれば、河内の生まれで、つてを頼って伊賀に赴くとき、尾張の山中で臨覚という中国人の僧に出会い、弟子入りしたとされる。石川五右衛門が豊臣秀吉をつけ狙った話はよく知られているが、伏見城にも何度も忍び入り、城内の様子をうかがい、ついに秀吉暗殺を決行すべく城内に入った。一説に、一色義俊の家老石川秀門の次男五良右衛門を名乗って、堂々と入城したという。やがて夜をまった五右衛門が、秀吉の寝所で暗殺しようとするとき、秀吉の持っていた名器千鳥の香炉が鳴きだす。そこで正体がばれてしまった五右衛門は、警護の武士たちに取り押さえられ、後に大釜で煎り殺されてしまう。 まず、五右衛門が忍術を使えるという点、河内、洛中の生まれだという点、忍術で盗みをはたらく点、変装して堂々城内に入っていく点、千鳥の香炉という名器が捕まるきっかけになってしまった点など類似点が非常に多い。また、浮世絵でも袴垂と石川五右衛門は似ている点が多い。作者は石川五右衛門のエピソードになんらかの影響を確実に受けているように見える。


[考察]

この歌と絵の関連部分は、下の句である「雲居にまがふおきつしら波」というところであろう。先にJoshua S. Mostowが述べたように、「白浪」とは白く立つ波という意味の他に盗賊の意味があるが、このほかにもまだ隠されたなぞらえ言葉がある。「雲居」とは、雲自体のことを言うだけではなく、遠くまたは高くてはるかに離れたところ。禁中、宮中、皇居、雲の上の存在という意味もなす。この歌は、盗賊袴垂が、妖術を使い殿上人に化け、宮中へ盗みを働きに来たという情景をあらわしている。




古典聚英9〕浮世絵擬百人一首 豊国・国芳・広重画平成14年(2002),吉田幸一,笠間書院

The Hundred Poets Compared" A Print Series by Kuniyoshi/Hiroshige/and Kunisada 2007,Henk J. Herwig/ Joshua S. Mostow,Hotei Publishing

広辞苑 岩波書店

歌舞伎事典 平凡社

百人一首 秀歌選 校注・訳久保田淳 ほるぷ出版

日本架空伝承人名事典(平凡社)

演劇百科大事典(平凡社)

歌舞伎登場人物事典(白水社)

日本奇談逸話伝説大辞典 編者志村有弘・松本寧至 ㈱勉誠社 

日本古典文学大系 古今著聞集 校注者永積安明・島田勇雄 岩波書店

新日本古典文学大系 古事談 続古事談 校注者川端善明 荒木浩 岩波書店

新日本古典文学大系 今昔物語集五 校注者森正人 岩波書店

新日本古典文学大系 今昔物語集四 校注者小峯和明 岩波書店

新編古典文学全集 宇治拾遺物語 校注・訳者小林保治 増古和子 小学館

国史大辞典 発行者吉川圭三 吉川弘文社