金山寺

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きんざんじ


画題

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解説

画題辞典

金山寺は金山龍游禅寺の略称なり、今の支那江蘇省鎮江府の東方楊子江中の島上にあり。初め裴頭陀、山を拓き金を得、故に金山と名づく。寺を建てゝ沢心寺という。梁の武帝天監四年茲に水陸会を設く、宋の天禧年中真宗此に遊びたりと夢みて金山龍游禅寺の額を給ふ是より寺号改まると、仏印禅師曽つて此寺に住し蘇軾と問答して知らる。「金山寺、張祐。一宿金山寺、微茫水国分、僧帰夜船月、龍出暁堂雲、樹影中流見、鐘声両岸聞、因悲在城市、終日酔醺々」

雪舟筆(浅野侯爵所蔵)、秋月筆(三井男爵所蔵)

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那江蘇省鎮江府金山にあつて、一に経山寺に作り、今は江天寺と呼ぶ、悲頭陀、山を開き金を得たので金山と名くといふ、梁武帝の天監四年、この寺に水陸会が設けられ、宋の時代になつては一時竜遊寺と呼ばれ、仏印禅師の此の寺に住した、偶々蘇東坡来り、禅師と問答したことが有名である、雪舟は在明の折、ここに遊んで、その実景を描く、いま浅野侯爵家に育王山と双幅のものあり、松方家には探幽の作があつた、江戸の旧家青地家にもまた一本を蔵した、別に三井男爵家には秋月の筆がある。なほ近く山村耕花、第十回院展楊国の巻に之を画く。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)