仏印禅師

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ぶついんぜんじ


画題

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解説

東洋画題綜覧

仏印禅師、名は了元、支那宋時代の高僧、南嶽の下、第十世開先善暹の法嗣、字は覚老、俗姓は林氏、饒州浮梁の人、家は世々儒家で二歳にして琅々論語や諸家の詩を誦したといふ。長じて五経を学び略々大義に通ず、後、竹林寺に首楞厳経を読み、是より旧学を棄てゝ出家し宝積寺の日用に就て試経受具す、かくて遍く諸師に歴参し、年十九にして廬山開先寺に入り善暹の法席に列り、又円通の居訥に謁した、時に訥の書記懐璉が詔に召されたので仏印其嗣となる、時に年二十八、江州の承天寺また主が無いのでこれに住し開先の嗣となつた、それより淮の斗方、廬山の開先帰宗、潤の金山、焦山江西の大師に歴住し尋で雲居に遷る、かくて道場に住すること九ケ所、四十余年の間、道化止むこと無く緇素その徳に服す、蘇東坡黄印に謫せらるゝや、仏印時に廬山帰宗寺にあり之と交遊し、その金山に遷るや東坡亦釈されて東呉に至る、当時江浙叢林の徒、文字語言を漁猟し之を以て禅とするの風あり、仏印常に其徒を教へ古を引いて之を諷す、高麗の義天亦仏印に就て禅を受く、初め天、明州に至るや楊傑之を伴つて呉中の諸刹を巡る諸刹之に接すること王臣の礼の如くであつた、時に仏印金山にあり牀座して天の大展を納る、楊傑驚いて其故を問ふ仏印答へて曰く之れ叢林の現縄にして門閥を以て上下せざるを以てすと、人々仏印の識に感じた、元符元年正月四日入寂、年六十七。  (続伝灯録)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)