義太夫節
ナビゲーションに移動
検索に移動
ぎだゆうぶし
総合
歌舞伎
初世竹本義太夫が元禄頃語り始めた浄瑠璃の一派。 義太夫は生れつき美声で声量があり、当時流行の各種の音曲の長所をとり入れて、新音曲を語り出したが、たちまち名声を得て、浄瑠璃といえば義太夫節を指すようになった。その後その門人の初世豊竹若太夫・二世義太夫・江戸中期の名人初世竹本此太夫・幕末の五世竹本春太夫・明治の竹本摂津大掾らの力により語り物音曲の最高位、人形劇音楽の王座を獲得して、現在の豊竹山城少掾にいたっている。しかしそのかげには多くの三味線の名手があり、初世義太夫の相手をした竹沢権右衛門・三味線の楽譜を発明した江戸中頃の初世松屋清七・明治の名人豊沢団平らの名を忘れることはできない。