松本幸四郎
ナビゲーションに移動
検索に移動
まつもとこうしろう
総合
歌舞伎
定紋四つ花菱。屋号高麗屋(初世大和屋)。江戸劇壇で代々すぐれ、ことに五世は傑出していた。 初世は延宝二(1674)生まれで、初め女形で松本小四郎と名乗る。のち立役に変り幸四郎と改名。実事、荒事が得意。享保十五(1730)没。 二世、三世はそれぞれ四世、五世市川団十郎を襲名。四世は宝暦から寛政にかけて、色立役を得意とした名優。 五世は四世の子で、実悪を本領とした化政度の重鎮。眼は鋭く、鼻は鷲鼻で、俗に鼻高幸四郎と呼ばれた。写実的な演出で新生面を開き、生世話物をはじめた。 七世は明治三年生れで、二世藤間勘右衛門の養子となり、九世市川団十郎の門下となった。容姿よく師の芸風を伝え、時代物、所作事にすぐれ、帝国劇場時代は翻訳劇や新作で注目をひいた。大正昭和の劇界の重鎮。「勧進帳」の弁慶は最も有名。 八世は七世の次男。明治四十三年生れ。中村吉右衛門の書に私淑し、またその女婿。中村吉右衛門劇団の立役として活躍した。時代物を得意とする。また新劇・映画にも出演する。「関の扉」で文部大臣賞をうけた。