川中島合戦

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かわなかじまのかっせん


画題

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解説

東洋画題綜覧

信濃国更級郡犀川及筑摩川の合流点にある上杉謙信武田信玄の古戦場、信濃葛尾山の城主村上義清、武田信玄に逐はれて天文廿二年八月城を棄てゝ越後に奔り謙信に投じて援を請ふ、謙信これを容れて信玄と一戦を試みんとし、弘治元年七月、謙信、義清と共に善光寺に陣し信玄は川中島の地に陣して鉄砲を備へて之を邀ふ、戦は同年十月に及んでなほ決せず、今川義光その中間にあつて和を結ばしめた、是れ川中島の第一戦である、永禄四年十月両雄亦大に川中島に戦ふ、劇戦の結果両軍死傷算なく、信玄の軍破れて弟信繁之に死し、謙信信玄に近づいて一撃し信玄将に危からんとする時、甲州勢の中から小山田弥三郎跳り出で謙信の馬を刺す、馬逸して謙信遂に軍を返す、両軍戦ふこと十七合、越後軍その中十一勝を得と。

一説に天文廿三年八月十八日、川中島にて戦あり謙信旗本半町斗敗北する処に宇佐美駿河守定行横あひにかゝり、信玄の兵大に乱れ御幣川へ追入られ討るゝ者多し信玄は川の中に馬を立てたる処に謙信緑の曇子にて包たる肩衣にこてをさし、白き手ぬぐひをもて頭を包み三尺計の刀を抜持ち虎のあれたる如くなる鹿毛の馬に打のり、信玄はいづくに在りやと呼る、原大隅信玄何事に爰にあるべき、うろたへ者よと罵り槍にて突きけれ共つき外す、謙信川へ馬を乗りこみ信玄にかけよせ三刀まで斬れしに信玄持たる軍配団扇を切られ手負て既に危かりしに原大隅萩原弥右衛門槍をとりのべ畳みかけて謙信をたゝきけるに馬のさんづにあたり馬川の深みに飛入りける、其間に信玄の馬副の者ども信玄の馬を川岸に引あげて物わかれしたりとなり。  (常山紀談)

川中島合戦は古来合戦絵中の好画題として多く画かるゝ中、柴田真哉筆(梅沢隆真氏蔵)は名高く、第二回文展には松本楓湖の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)