蕭何

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しょうか


画題

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解説

画題辞典

蕭何は沛の人にして、漢の高祖の布衣たりし時、之に随ひて吏事を司る高祖沛公となるに及び、丞相の事を行う、沛公咸陽に在る時、諸将金帛を争いしに、何独り秦の律令図書を収めたりという、沛公帝位に即くや何を第一位に置き鄭侯に封ず、その時功臣皆平かならずして曰く、臣等堅を被り鋭を執る、多きは百餘戦、少きも数十合、然るに何や徒に文墨を持して、未だ汗馬の労なし、而して今臣等が上に在るや何ぞやと、帝曰く諸君猟を知るや、獣を逐殺するものは狗也、発縦指示するものは人也、何が功は是れ猟に於ける人の功也と、群臣再び言はずという、孝恵帝の二年卒す、文終侯と謚す、

謝蕪村及岡本豊彦等に蕭何逐韓信図あり、「韓信」の条参照すべし。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那、前漢創業の功臣、沛の豊の人、律令に精しく、初め沛邑の主吏となつたが高祖が兵を起すことになつたので、之を援けて咸陽を陥れた、この時諸将皆争つて、金帛財宝を掠めたが、蕭何独り秦の相府に入つて律令書を収め、財政兵備に関する文書を得た、高祖の漢王となるに及び、丞相となり、また項羽と干戈を交ふるや、常に内政を整へ軍糧を供給して漢王をして後顧の憂なからしめた、漢の五年、高祖が帝位に即くと共に功第一を以て鄼侯に封ぜられた、後、上林苑中に空地の多いのを見て、民をして耕作せしめやうと、帝に請う処あつた所、却て帝の怒に触れ、延尉の獄に下されたが、許されて間もなく恵帝の二年に卒した、諡号文経公、世に張良韓信と共に漢の三傑と称せらる。

韓信従頂梁居戯下、無所知名、又属羽、数以策于羽、羽弗用、乃亡帰漢、陳平事項羽、羽使撃降河内已而漢攻下之、羽怒将誅定河内者、平懼誅乃降漢、信与平固能、択所従、然不若蕭何之先見、何為泗水卒吏、事第一秦御史、欲入言、召河何固請母行、則当秦之未亡、已知其能久矣、不待献策弗用及懼罪且誅然後去之也。  (容斎続筆)

『蕭何追韓信図』は好画題として、人口に膾炙する処、『十八史略』に曰く。

漢王至南鄭、将士皆謳歌思帰、多道亡、信度、何己数言、王不用、即亡去、何自追之、人曰丞相何亡、王怒、如夫左右何来謁、王罵曰、『若亡何也』何曰『追韓信』王曰『諸将亡以十数、公無所追、追信詐也』何曰『諸将易得耳、信国士無双、王必欲長王漢中、無所事信、必欲争天下非信無可与計事者』

之を画いたものに与謝蕪村筆(重要美術品野村徳七氏蔵)、小田海僊筆(秋田本郷家旧蔵)などがあり、岡本豊彦にも此の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)