張良

提供: ArtWiki
移動: 案内検索

ちょうりょう


総合

能狂言

四・五番目物・霊験物

あらすじ

 漢の高祖に仕える張良は夢の中で老翁と出会う。兵法を伝授してもらう約束をし、夢の中で約束した五日後に橋のほとりに行く。しかし、老翁は約束の時間に遅れた事を咎め、また五日後に来いと言い去っていく。これが第一回の試みであった。

 五日後、張良は正装をし早暁に行くと威儀を正した老翁が馬に乗って現れた。そして自らを黄石公と名乗り、履いていた沓を川へ落とした。張良は急いで川に飛び込んだが、大蛇が現れ威嚇し沓を取られる。張良はすばやく剣を抜き立ち向かい大蛇から沓を奪い返した。黄石公は張良の働きを認め、兵法の奥義秘伝を授けるのだった。

能絵 場面解説

 中国の故事に取材した観世小次郎信光の作品で、信光らしい劇的な演出が随所に見られる。後場の、シテ黄石公が沓を脱いで飛ばし、それを張良が取りに川瀬の中に入って龍神と闘う場面は、信光らしい演出の一つである。また、張良が兵法の奥義書を黄石公から授けられる場面も、眼目の一つである。本作品での黄石公は一畳台を降りているが、後場のほとんどは一畳台上に座り、動きもほぼ無い。

 一方の張良は、川の激流に流される様、龍神との闘いなど、シテとは対照的に動きが多い。そのため、ワキ方の重習物となっている。「静」のシテと「動」のワキの対比も面白い作品である。


画題

画像(Open)


解説

画題辞典

張良、字は子房、西漢初代の謀士にして、後世智者として挙げらる、其父祖韓に相たりし故を以て韓の為に秦に報ぜんとして、百二十斤の鉄槌を以て秦始皇を博浪沙中に撃つて中らず、姓名を変じて匿れ、圯上に遊びて一老父より兵書を受け、沛公に属す、之れより沛公を援けて謀を献じ、項王を破らしむ、沛公漢王となり、遂に天下を定む、実に張良の謀多きに居るという、漢の六年留侯に封ぜられ、後六年にして薨ず、文成と謚す、尚黄石公商山四皓等の条参照すべし、作品は多数あるが中に、

啓書記筆(毛利公爵所蔵)、狩野元信筆(加藤子爵所蔵)、緒方光琳筆(某家所蔵)、曽我蕭白筆屏風(東京帝室博物館所蔵)

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那前漢の傑物、字は子房、祖父開地、父平共に韓王に相たること五世、平死し、秦、韓を滅したので、張良は悉く家財を散じ、秦王を刺して韓の為めに仇を報いんと企て、東の方倉海君に見えて力士を得、鉄椎重さ百二十斤のものを作り、始皇帝を博浪沙に狙撃したが中らず、秦皇大に怒り張良を捜索すること急である、張良乃ち姓名を更め遁れて下邳に匿れ、圯上老人に従て太公の兵書を得た、陳渉等の起るに及び、張良また少年百余人を聚め、往いて楚の仮王景駒に従はんとし、道に沛公劉邦が地を下邳に略するに逢ひ、遂に之に属することゝなつた、張良屡々太公の兵法を以て劉邦に説き、劉邦またこれを喜び常に其策を用ひた、劉邦の項梁と共に楚の懐王を立つるや、張良は梁を説いて韓の公子成を立て韓王とし梁は張良を以て韓の司徒とした、开で張良は千余人に将として西の方韓の地を略し数城を得、劉邦と共に武関に入り、行く行く秦の軍を破り遂に咸陽に至る、秦王子嬰が降つたので邦は軍を覇上に還した、項籍後れて至り、劉邦はこれと項門に会した、邦、国に漢中に就く、良送つて褒中に至り別れて韓に帰る、漢王をして桟道を焼き絶ち、其の東して天下を争ふの意なきを示し、以て項王の意を安んぜしむ、張良帰つて韓に至り項籍の韓王を彭城に殺したことを知り、乃ち書を項籍に送り斉反すと告げ、項籍が之を討たうとする間隙に乗じて漢の天下にしてしまつた、此の時に劉邦は已に還つて三秦の地を定めた、そこで張良を成信侯とした、漢の六年、劉邦功臣を封ずるに際し張良の功を賞して斉の三万戸を以て封ぜんとしたが、張良自ら留の侯たらば足るとて辞し留侯となつた、高帝死し太子立ち、後六年にして張良死す、諡して支成公といふ。

張良が黄石に履を捧ぐる図や、奇計楚兵を走らすの図などよく画かる。

海北友松筆  『黄石公張良図』  帝室博物館蔵

啓書記筆   『張良』      毛利公爵家蔵

狩野元信筆             加藤子爵家蔵

なほ近作としては左の一点がある。

三井万里筆  『張良散楚兵』   第十一回文展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)