中村勘三郎

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なかむらかんざぶろう


総合


歌舞伎

定紋隅切角に一枚銀杏。屋号中村屋(初世柏屋)江戸歌舞伎の元祖。世代によっては座元で俳優をかねた者もある。

初世

慶長三-明暦四(1598-1658) 蜂須賀阿波守の家臣の子で俳優となり、本姓を名乗らず、猿若勘三郎と称した。京都で生れ、大蔵流の狂言を習い、猿若の芸を始め、元和八年(1632)江戸ヘ下り、寛永元年(1624)中橋南地(今の日本橋丸善附近)に猿若座(三世以後中村座)を創設。これが江戸における歌舞伎劇場のはじめ。 慶安四年(1651)四代将軍の病気慰安に城内に召され、また、明暦三年(1657)の振袖人事に類焼し生国京都に上ったとき、御所に召され猿若を演じ受賞した。

十七世

明治以後中絶していた名跡を昭和二十五年復活継承したので、血族的つながりはない。 三世中村歌六の三男で、明治四十二年生まれ。青年時代から秀才と評され、六世尾上菊五郎の芸風を慕い、その影響をうけた。ことに和事女形に長所がある。中村吉右衛門劇団の幹部で、昭和二十九年文部大臣賞をうけた。 三世中村時蔵の弟で、六世菊五郎の女婿である。