マキノ映画について

   

マキノプロジェクトII

牧野省三紹介

マキノ映画紹介

プロジェクト連絡先

 
 
映画集団“マキノ”とは、「日本映画の父」と称される牧野省三が1919年に設立した「ミカド商会」に端を発し、その後「牧野教育映画製作所」や「マキノ映画」、「マキノ・プロダクション」といった名称で、京都・洛西地域の等持院撮影所や御室撮影所を拠点に牧野ファミリーを核として展開した独立映画プロダクションの活動とその集団を意味します。
 彼らの活動は、牧野省三の長男マキノ正博が太秦に設立したマキノ・トーキー(現・松竹京都映画撮影所)に到るまで、18年間にわたる巨大な軌跡を描き、数多の映画人を輩出し、京都を日本のハリウッドへと変貌させたとともに、日本映画文化・産業の基盤を築きあげた原動力となりました。
 マキノ映画の活動は、以下の3つの時代に大別されます。

 1.等持院撮影所時代
 1921年に撮影所を開設した「牧野教育映画製作所」から、1923年に組織改革・名称変更を行った「マキノ映画」及び「マキノキネマ」、そして「東亜キネマ」との合併・分離時代を含みます。

2.御室撮影所時代
 東亜キネマから独立して御室・妙心寺駅前に撮影所を開設した1925年の「マキノ・プロダクション」から、倒産を経、マキノ再興をかけた1931年の「新マキノ映画」や「正映マキノ」を含みます。

3.マキノ・トーキー時代
 帷子ノ辻駅前に開設した太秦撮影所(現・松竹京都映画撮影所)を拠点とした1935-1937年のマキノ・トーキーを指します。

マキノ等持院撮影所
マキノ等持院撮影所
(1921-1925年)






マキノ・プロダクション
御室撮影所

Copyright (c) 2003, Makino Project, Art Research Center, Ritsumeikan University
更新:2003/12/15 M.TOMITA