B2-0 常盤御前...

 常盤御前は、源義朝の妾であり、今若(全成)・乙若(円済)・牛若(義経)の三子の母である。都随一の美女とされ、名高い九条院の雑仕女であった。
 常盤御前の物語は、古くは清水寺の観音信仰を中心とする独立した伝承として成立したと考えられている。それが『平治物語』に摂取され、後には幸若舞曲、謡曲、説経、浄瑠璃に歌舞伎とさまざまな芸能において題材とされていく。特に幸若舞曲には、義経の伝承ともからみつつ『平治物語』などにない話が加えられ、常盤の死に至るまでを語る一連の曲群が成立した。「伏見常盤」や「山中常盤」などは、とくに人気を博し、後代にまで大きな影響を与えた。
 物語のなかで描かれる常盤は、時代や作品のなかで変化していく。そもそも「常盤御前」という名称も始めから用いられていたものではない。『平治物語』では「ときは」は平仮名と「常葉」など表記もゆれており、「御前」という敬称は使われていないのである。江戸時代に入り、近松作品などの頃にようやく「常盤」で統一される。「御前」の敬称は幸若舞曲以降に見られ、いわゆる「ときは物」では4曲すべてで「御前」が用いられている。このような表記や呼称の変化は、物語中の常盤御前の人物像の変化に伴うものであった。
 このコーナーでは、⑴『平治物語』あるいはそれ以前の常盤譚における「悲劇的な」常盤像、⑵後世多く踏襲された幸若舞曲以降見られるような「強い」常盤像、⑶近世見られた「ふしだらな」常盤像などを辿ってみたい。(村.)