C3-0 楠木久子...

 楠木(南江)久子は楠木正成の妻である。楠木正成は鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した武将であり、後醍醐天皇を主君として足利尊氏らとともに鎌倉幕府倒幕に貢献した。さらに、足利尊氏の離反後も後醍醐天皇を主君とし新田義貞、北畠顕家らとともに南朝側の軍として天皇を助けた。江戸時代になると水戸光圀が正成を「忠臣の鑑」であると評価し、正成は英雄とされていった。また、明治期に南北朝正閏論において南朝側が正しかったと評価されるようになると正成は「大楠公」と称されるようになった。
 そんな正成の妻の最も有名な逸話が、「太平記」巻16の一場面にある。湊川の戦いで正成が亡くなった後、足利尊氏から正成の首が送られてきた際それを見て悲しんだ息子の正行は自害しようとした。しかし正成の妻である久子が正行の自害を止め武士としてその行為は誤っていることを教え諭した。この逸話は良妻賢母像として語り継がれていくこととなる。たとえば日本の古代から江戸期に至る名女・賢女が記されている仮名草子『本朝女鑑』では、『太平記』の原文そのままに逸話が記録されている。
 また浄瑠璃「吉野都女楠」では正成の妻とされている「菊水」が、息子正行に訓戒する場面に登場する。西沢一風・田中千柳作「南北軍門答」に登場する正成の妻は、女色におぼれる正行を訓戒するという脚色がなされた。
 1991年に放送されたNHKの大河ドラマ「太平記」では、原典に記されているような正行による自害のシーンは無かったものの、正成の首を見て目を背ける正行に母である久子が「正行どの!」と叱り、息子に現実を受け入れさせるシーンがある。太平記が完成されてから現在までに様々な作品の中で、一貫しているのは、「良妻賢母」像であるようだ。(岩.)
【参考作品】
『(絵入)太平記』巻16 立命館大学ARC(藤井永観文庫 eik2-0-66)