B1-1 祇王・妓女
-
「平相国従一位大政大臣清盛入道浄海」
「洛六条堀川白拍子祇王」「祇王妹祇女」
絵師:歌川芳虎 判型:大判錦絵
出版:天保14年(1843)頃
所蔵:国立国会図書館 作品番号:寄別2-8-1-7.02-043~045.
【解説】
この絵は平清盛がその権力の多くを所有していたころの様子をあらわしている。左右に侍っているのが今回解説する女性である祇王、祇女の姉妹である。この絵を見て分かるようにまだ清盛の寵愛は祇王に注がれておりその栄華を誇っていて捨てられてしまう前の状況であるといえる。
この絵は「つき島にて日をまねぐ清盛」の様子をあらわしたものである。これは高倉天皇が厳島への御幸の際、清盛が福原で饗宴を行い日が暮れて山影が暗くなったので庭に大篝を燈して明るくしたのを形容したことからきている。この「日招きの清盛」は古くから歌舞伎に脚色され、清盛が扇で夕日を呼び戻すという形で演じられている。
この絵もまたその様子が描かれている。一番左の祇女の絵の背景には夕日が山の向こうへ落ちようとしている。それを清盛が手に持った扇を仰ぐように動かし、その日が山の向こうへ落ちないようにまた空へともどそうとし、実際呼び戻すという絵である。
清盛がその権力でもって世の何もかもを掌握しているような様子とその権力者に寵愛され侍っている祇王・祇女の様子は捨てられるという未来が見えないほど愁いなどもないように感じる。
しかしこの様子が次章で解説する仏御前によって寵愛を奪われ栄華から転落し、出家の道に入る祇王祇女の盛者必衰ということをより強調する結果になっているのではないだろうか。 (窪)謡曲/能では「祇王」として謡曲、三番目物、現在能。宝生・金剛・喜多流現行曲とあり、作者は未詳。「妓王」や「二人祇王」とも呼ばれる。『自家伝抄』には「仏義王」とある。内容はまず平清盛に仕える瀬尾太郎が登場する。清盛は白拍子の祇王を寵愛しているが、今日加賀国の白拍子仏にもお目通りが叶ったことを語る。瀬尾に呼ばれて祇王・仏が共に出仕してくる。清盛の前で二人はそろって舞を舞う。清盛は仏に心を移し仏にのみ舞を所望するが仏は祇王を立て従うまいとする、というものになっている。
近松門左衛門の浄瑠璃「仏御前扇軍」では第三 北山の茸狩、西八条清盛邸にて登場する。本流の平家物語と同じく祇王は白拍子として清盛の寵愛を受けているが、この物語の中心といえる仏御前が清盛に追い返されようとしたときに執成したために寵愛を奪われ追い出されることになる。そして仏御前の病の慰めに祇王ら親子三人が召されたが、凋落の原因である仏御前の慰めに呼ばれてことに耐えられず、舞の途中に髪を切って退出し仏門に入る。
祇王、祇女ともに能や浄瑠璃「仏御前扇軍」では平家物語の流れと変わらず、一時は権勢を誇っていたが優しくも仏御前を清盛の目の前に出せるよう執成したがために凋落するということが受け継がれている。
川柳では、自身の優しさによって寵愛を奪われ、凋落した祇王祇女を揶揄したようなものが多くあった。
・祇王祇女田舎娘におつべされ
・仏在世祇王と祇女は尼になり
・加賀絹の湯文字に祇王祇女おされ
・押売りの芸子に祇王祇女おされ
・祇王祇女世をあぢきなく鍋ゆづけ
・祇王祇女転び芸者の元祖なり
・おぬし若したれはせぬかと祇王祇女
・平清を出る佐賀丁の祇王祇女
・祇王祇女味噌とうしほの間に出し
・味噌とうしほの間に出る祇王祇女
・祇女が母遺手のやうな口をきき
・引籠り楽の身と成ル祇王祇女【参考文献】
≪ 続きを隠す
・日招きの清盛 『歌舞伎細見』P.72-73
・祇王 『古典文学大辞典』 P.102
・近松門左衛門 『近松全集 第十四巻』浄瑠璃「仏御前扇軍」 P.275-399
・『新編川柳大辞典』 P.195 P.200
・『雜俳語辞典』P.279 -
- 投稿日:
- by 8P
- カテゴリ: B 源平合戦の女たち,B1 清盛と女たち
- [編集]