・金太郎その後
歌麿により数多く描かれた母子絵であったが、明治以降は同時期に描かれた清長「熊に跨る金太郎」や芳年「金太郎捕鯉魚」による子供絵が主流となる。金太郎は独立して発展を遂げていき、豆本(幕末から明治初期)では子供の読み物として金太郎の活躍に重点が置かれ、対して山姥は表紙に載る程度になっていく。(このため、現在では金太郎の親としての山姥は馴染みが薄い)
さらに昔話・唱歌(明治20年代以降)にも取り上げられるようになり、明治33年(1900)には我々が大好きな小学校唱歌「キンタロー」が『教科書適用幼年唱歌』に掲載された。
※ここではキンタローは母親に甘える存在としてではなく、馬術の稽古をし、相撲の稽古をする逞しく真面目な模範的男児として強調される。明治期の金太郎は山姥から生まれた奇怪性は影をひそめ、強健で武勇に優れた明治時代の理想的人間像として扱われるようになった。(鳥居2002)
現在では金太郎飴や五月人形など、子供の健やかな成長を象徴するものとして親しまれている。
本図のみならず金太郎が赤く描かれる所以は、疱瘡(天然痘)の撃退に朱色がきくとされていたことによる。
【参考文献】
鳥居フミ子『金太郎の誕生』(勉誠出版 2002)
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