B3-0 浄瑠璃御前...
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浄瑠璃御前とは「浄瑠璃御前物語」の主人公で、三河矢矧の長者夫婦が鳳来寺の薬師如来に願立てし、授かった女子。美しく成長したのち、義経と出会い命を救う。浄瑠璃御前の名は、薬師如来の別名が薬師瑠璃光如来であること、薬師如来の浄土世界を浄瑠璃世界ということが由来となっている。語り物の一つとして発生した「浄瑠璃御前物語」は、おおいに流行し、この一派の語り物は「浄瑠璃」と呼ばれるようになり、人形浄瑠璃へとつながっていく。義経伝説の中でも中心的な話であったが、現在では、語り物の「浄瑠璃」という言葉は知っていても、その中身を知っている人はほとんどなくなっているのではないだろうか。
物語は以下の通りである。源氏の御曹司牛若は勉学のため鞍馬寺に預けられていたが、十五歳の時奥州に下る金売吉次の供となり旅立つ。三河矢矧の長者屋敷を覗き見た牛若は見事に管弦の遊びをする浄瑠璃御前に惹かれ、笛を奏でる。姫が忘れられなかった牛若はその夜館に忍び込み、姫と結ばれる。名残を惜しみつつも二人は別れ、牛若は旅を続けていく。
蒲原宿に至った牛若は恋の思いから重い病に伏せる。宿の女房が牛若を口説こうとするも断られ、その恨みのあまり、亭主の留守中に牛若を吹上の浜に棄てる。神の知らせで牛若の危機を知った姫は吹上へ急ぎ、瀕死の牛若を見つけ嘆き悲しみ神々へ祈願する。薬師如来の御利益で浄瑠璃御前の涙が薬となり牛若を救う。姫は牛若が呼び寄せた鞍馬の天狗に連れられ、矢矧に帰還し、牛若は奥州平泉藤原秀衡のもとに至る。
三年後軍勢を引き連れ上京する途中、姫を訪ねるもすでに亡くなっており、笹谷の墓を訪ねる。彼が供養すると五輪が砕け、姫は成仏し、牛若丸はその跡に寺を建立する。
本コーナーでは、浄瑠璃御前と牛若が出会う忍び入の場面を中心にその変遷を追ってみたい。(山.)
【参考資料】
辻惟雄・他編『絵巻上瑠璃』(1977年 京都書院)浄瑠璃御前物語は浄瑠璃、十二段草子とも呼ばれ室町中期ごろ成立したと考えられている。作者不明ではあるが、三河鳳来寺の巫女集団(冷泉派か)によって東海道筋に広められていった遊女と貴公子の恋愛奇譚の一つが中央につたわり文章化されたものとみられる。もともとは十六段からなる物語であったが、絵巻として流布していく過程で省略・整理され、古活字本が出版される頃には十二段の形になっていった。このころから「浄瑠璃」よりも「十二段」という名称が一般的になっていく。さらに浄瑠璃正本として各太夫から板木による製本が刊行されるようになり、芸能面で利用されるだけでなく、草子として文学の分野に影響を与えた。この物語がはやくより座頭により節付けされ、浄瑠璃節と名付けられて語り物とされた。これが人形劇と合わさることでさらなる発展を遂げ、この浄瑠璃御前を主人公にしたものだけでなく新しい浄瑠璃が作られてゆき、竹本義太夫、近松門左衛門が今に続く新浄瑠璃を確立した。義太夫以前の浄瑠璃を新浄瑠璃に対して古浄瑠璃という。その後お座敷で浄瑠璃を語る一派が現れ、座敷浄瑠璃と呼ばれた。これらの多くは歌舞伎芝居で劇場音楽として使用された。
浄瑠璃御前はただの人ではなく、薬師如来の申し子である。通常申し子は仏神が子種を見つけてきて授けるが、浄瑠璃御前は薬師十二神将の一体であるのが特徴的で、浜に打ち捨てられた義経を救う際も、薬師如来に祈誓した浄瑠璃御前がこぼした涙が不老不死の薬となる。異能を持つというよりもその身が仏の転生体であるが故のように思われる。また、義経の危機を仏により知らされたことや、義経を思うあまりに讒言により身を投げた浄瑠璃御前の菩提を弔い寺を建てるなど仏教色が強く感じられる。(山)【参考文献】
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信多純一『浄瑠璃御前物語の研究』(2008、岩波書店)
信多純一、坂口弘之『古浄瑠璃 説教集』(1999、岩波書店)
信多純一『現代語訳 完本浄瑠璃物語』(2012、和泉書院)
- 投稿日:
- by 8P
- カテゴリ: B 源平合戦の女たち,B3 浄瑠璃御前
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