D2 安政2年隅田川東岸の火事で二月場所中止

年代:安政2年(1855)2月
所蔵:小島貞二コレクション
資料no:kojSP03-086

 画像は安政2年(1855)2月場所の番付である。番付はこのように発表されたが場所前の正月29日火事があった。『武江年表』の安政二年の項に「〇同二十九日、初午の宿宮にあたりしが、同夜子刻、本所駒留橋北なる松前侯屋敷より出火、大風にして三宅侯其の余武家地多く焼け、横網町、小泉町、御台所町(武家地なり)より回向院方丈書院裏に移り、夫より本堂(土蔵造)の棟へ燃付き焼亡し、明方に至り鎮まる(火事により回向院境内角力興行を停む)」といある。記事にある通りこの場所は回向院が火事に遭ってしまい中止となりこの場所の番付は幻の番付となった。下図は二代広重が描く明治初年の本所回向院の相撲場の様子である。

 このように江戸相撲が興行中止となった例は天明5年がある。天明5年は全国的に不景気かつ天明の大飢饉のさなかであったため大相撲興行はなかった。8月に大坂に行き難波新地で興行を行ったのが唯一であった。しかも普段なら京都でもセットで興行を行うがそれも無かった。