近代都市京都のいぶき―建都1201年へ市民の英知を(178-1)

「京都ニュース 近代都市京都の"いぶき" ─建都1200年へ市民の英知を─ 京都市広報課」 1100有余年の歴史に育まれ、今、21世紀を目指し前進を続ける街京都。明治維新後の東京遷都によって沈滞していた京都の街に、近代化の息吹を吹き込み、活力を生み出したのは琵琶湖疏水でした。明治18年、当時22歳の田辺朔郎博士と北垣知事の熱意によって着工された琵琶湖疏水は2900メートルの長等山トンネルをはじめ、数々の難工事も人々の創意工夫と情熱によって成し遂げられ、明治23年完成。疏水を利用して蹴上に作られた水力発電所は、わが国初の、そして世界で2番目のものでした。この水力発電によって、わが国最初のチンチン電車が走り、産業も大いに飛躍。明治2年、全国初の小学校が創立された京都の街は、こうして日本の近代化をリードしながら、着実に新しい時代に向かって歩み続けていったのです。インクライン。疏水が琵琶湖と京都、さらに大阪へと結ぶ水上運搬の大きな役割を果たしていたことを物語っています。明治45年には、第二疏水が完成。と同時に水道事業が開始され、今日まで京都の市民に命の水を送り続けているのです。琵琶湖疏水の開削や水力発電所の建設などを行い、京都の近代化に大きな役割を果たした田辺朔郎博士のブロンズ像がインクライン広場に建立されました。今川市長は スピーチ)琵琶湖疏水は、文字通り京都市近代化のエネルギー源となりましたが、着工当時不可能とするものの多かったこの大事業を完成させることができたのは、田辺朔郎博士の卓越した技術力と指導力に負うところがきわめて大きいのであります。 平安京大極殿を8分の5に模した平安神宮。明治28年、建都1100年を記念して、市民の手で創建されました。また、岡崎一帯では内国勧業博覧会が開かれ、今その跡地は勧業館や美術館、動物園となり、市民のいこいの場、市民文化の中心地となっています。京の春を華やかに彩る都をどりは、内国勧業博覧会の催し物から始まりました。勇壮な鼓笛隊を先頭に、一大歴史絵巻が繰り広げられる時代祭。これもまた、建都1100年を記念して始められたものです。 平安建都1200年記念事業へ 市民の英知を! 794年(延暦13年)...平安京創建 1994年(昭和69年)...平安建都1200年 京都市 今、京都の街は建都1200年を11年後に控えています。市民の英知を結集し、21世紀を目指し、京都の街のたえなる前進に、市民みんなで取り組んでいこうではありませんか。