お土居(74-1)

「京都ニュース お土居 京都市広報課」京都の街には、鞍馬口・丹波口・荒神口など、"口"と名の付く地名が数多くあります。これは、御土居の名残です。御土居は、今からおよそ400年前、京都を外敵や水害から護るために造られた土塁、土の防壁のことで、この内側を"洛中"、外を"洛外"とし、洛中から洛外への出入り口を、それぞれ"口"と呼んでいました。その昔、口にあった石柱にも、「これより洛中」という文字が見られます。天正19年、豊臣秀吉が造ったときは、東寺の西から北へ、北野神社・鷹峯を東へ、鴨川の西岸に沿って南下、東寺まで、長さ23kmの延々たる土塁でした。今では、北区大宮土居町など8ヵ所にその遺跡が残っていますが、高さおよそ5m、幅25m、その頃としては大規模なものでした。 ...(※御土居の断面図の図) 昭和5年、史蹟に指定された御土居は、その後、急激な街の発展に押され、心無い人々によって段々と破壊されてきました。御土居のほとんどが民有地であったのも、その原因の一つです。「京都の歴史上貴重な史跡である御土居を守れ」という声に応えて、京都市では文化財保護委員会と協力、重点的に保存を図ることになり、昔の面影を残している8ヵ所を選び、土地の所有者の協力を求めて、それぞれ新しく「御土居公園」として積極的な保護に乗り出しました。京都は、街全体が文化財と言われるほど、多くの文化財を持っています。これらの文化財を守るためには、何よりも市民の理解と協力が望まれます。