E07隈取と押隈

「八代目市川團十郎三升景清押紙」
役者:八代目市川団十郎 隈取押紙1枚
成立:嘉永2年(1849)8月
資料番号:arcHS03-0007-2_01 所蔵:立命館ARC.

【解説】
  押隈とは、俳優が舞台をつとめ楽屋に戻ったあと、顔面にほどこした隈取を紙や布地に押し当てて写したもので、公演の記念に贔屓の好劇家の求めに応じて取ることが多い。そのため、好劇家への配りものや贈り物にされ、好劇家はこれを表装し、贔屓にしている役者の面影を鑑賞して楽しんだ。
 本押隈は、書き込みに従うと、八代目市川団十郎(文政6年~安政元年)が景清に扮したときのものとなる。八代目市川団十郎が景清に扮した上演記録から、嘉永2年(1849)8月河原崎座の「歌舞妓十八番の内 景清」で、悪七兵衛景清に扮した時のものだと考えられ、現存最古の押隈ということになる。この押隈が貼り込まれていた「日本市川三筋之巻物」は、劇界の関係が深く、八代目市川団十郎との親交があった金屋仙之助が所蔵していたものであり、資料としての信憑性には疑問を挟む余地がない。「押紙」という呼称が他に用いられた例はなく、まだ押隈という習慣が定着していなかったことを裏付ける。
 この押隈をよく見ると、唇の位置が鼻側に接近している。つまり、顔の上部と下部とで二回に分けて取ったことがわかる。
 なお、悪七兵衛景清は、「半隈」「景清の隈」と呼ばれる隈を取る。上半部を生臙脂、下半部の頬の隈と顎髭を青黛で隈を取ることで、娘をもつ父親であるという落着きや、長い間、牢に入れられてやつれたようすを表現している。
arcBK01-0135_009.jpg『市川家秘伝隈取図巻』に見られる四代目市川団十郎が工夫したという隈取と比較すると、さらにそれから工夫がされていることがわかる。(本.)