C07楽屋の様子

「俳優楽屋双六」
絵師:歌川国貞〈2〉 判型:大々判/錦絵 4枚継
出版:文久3年(1863)11月江戸
資料番号:arcSP01-0094 所蔵:立命館ARC.

【解説】
 本図は劇場内にある楽屋の様子を双六として描いたものである。江戸時代の双六には「廻り双六」と「飛び双六」があり、本図は飛び双六にあたる。飛び双六とは盤面の指示に従い飛び回るように進める双六のことで、本図は楽屋を舞台に盤面が形成されている。この頃の楽屋は3階構造で、本図も全ての階が描かれている。
 一階には、湯場・はやし部屋・作者部屋・頭取座・小道具部屋が配置され、一階には主に裏方の部屋が集合していることがわかる。頭取座には開場中楽屋の一切を切り盛りする頭取が常に座っており、頭取座前には出勤板が置かれている。出勤板には各役者の名前が書かれ、役者が出勤した際には目印の棒を立てていた。
 二階(中二階)には、二枚目女形部屋・立女形部屋・客座女形部屋が設けられている。この階は「中二階」と称され、女形の部屋で構成されている。実際は他の階と変わらぬ造りであるが、男役よりも地位の低い女形が集まる階であるため中二階と称され、女形のことを中二階と呼ぶこともあった。客座女形部屋は年齢の高い女形役者の部屋で、立女形や座頭と同等の地位の役者のための部屋である。女形は基本的に化粧をひとりでは行わず、本図においても、沢村田之助が首筋の白粉を手伝ってもらっている様子が描かれている。
 三階(二階)には、若夫部屋・間中通部屋・中通部屋・客座立役部屋・座頭部屋が設けられている。この階は立役の役者部屋と座頭や若太夫をいった劇場の重役たちの部屋が設けられている。客座立役部屋以外「立役」という言葉が使われず、「間中(相中)」という言葉が使われている。江戸時代の立役には、名題・相中・中通り・下立役等の階級があり、部屋は階級ごとに厳密に分けられていた。女形と違い立役は基本的に自身で化粧を施し、本図においても間中通部屋で中村鴈八・若夫部屋で市村家橘が自身で化粧している姿が描かれている。若夫部屋に四代目市村家橘がいることから、本図は市村座の楽屋を描いたものである。家橘の後ろには鬘を手にした人物は床山であり、楽屋には様々な役割を担った働き手がいることがわかる。中通部屋は大部屋となっていて、稽古や寄初なども行われる。本図においても稽古の様子が描かれ、囃子方なども交え間中通部屋に出入りできたことがわかる。
 楽屋は本来、神聖な場とされ、劇場関係者以外の目に触れることはなかった。しかし、次第に観客の「楽屋を見てみたい」という好奇心が高まり、勝川春章による名優の楽屋での様子を描いた浮世絵シリーズから始まり、幕末には「御狂言楽屋本説」といった幕内の仕組みを描いた出版物も続々と出された。
 また、本図は市村座の楽屋を描いているが、役者の顔ぶれからも架空の興行時の楽屋を描いていると考えられ、当時の観客のニーズに合わせて描かれたものと考えられる。(青.)