C05平土間

「東京名所三十六戯撰 さる若町」
English Commentary
絵師:昇斎一景 判型:大判/錦絵
出版:明治5年(1872)東京
資料番号:arcUP2927 所蔵:立命館ARC.

【解説】
 江戸末期から明治初頭にかけての観客席の様子である。平土間の一枡には、一枡4~5人が座り飲み食いしている。現在の劇場では上演中の飲食は禁止されているが、この当時は飲食しながら観劇することが基本であった。この作品では平土間の賑やかな様子がコミカルに描かれている。
 文化期(1810頃)までは、舞台に最も近いところは、桟で区切られずに「切落し」と称され、客を入れるだけ入れたが、それ以降は、すべて平土間になった。それ以外にも桟敷・羅漢台・吉野といった観客席がある。「桟敷」とは、平土間の両サイドと舞台の正面奥にあり平土間より一段高い客席で、茶屋を通じてのみ客席を確保できる高価な座席のことである。桟敷は茶屋が確保し、贔屓客に販売、茶屋は幕間の時間も含め贔屓客に付きっきりとなる。上演中、桟敷では水菓子などを食べながらゆったりと歌舞伎を鑑賞した。桟敷には上桟敷・下桟敷があり、上桟敷の方がより高価な客席であった。やはり、文化期までは、下桟敷は、客の前に横木が二本渡されており、土間側から見ると、鶉篭のように見えることから「鶉」とも呼ばれた。下桟敷の裏の通路は役者が行き来するため、その都度、鶉の客は、後ろを振り返り、その姿が鶉のように見えたからともいう。一方で、舞台から最も遠い二階桟敷席の最後列は、つんぼ桟敷ともいわれ大入りの時は制限なく詰め込まれた。
 「羅漢台」は舞台の下手奥にあり、上演中は常に役者の後ろ姿を見ることとなる。幕を引くと幕の中に入ってしまうため、役者の素に戻る様子や舞台の準備風景を見られる貴重な観客席だが、羅漢台は大入りの場合のみ臨時に仮設されるため一番安価な観客席であった。羅漢台に大勢の観客が座っている様子は、まるで天恩羅漢寺の五百羅漢のように見えたためという。「吉野」とは羅漢台の真上の客席にあたり、舞台の上部に吊された吊り枝が目の前に見えることから花の名所である「吉野山」にちなみ名付けられた客席である。羅漢台や吉野は、舞台が額縁舞台となり、客席と舞台が完全に切離された時に姿を消す。
 平土間は、ほとんどの劇場が椅子席となって数少なくなったが、地方の古い劇場に現存し、椅子席とは違った観劇の楽しみを味わうことができる。また、桟敷は、むしろ歌舞伎劇場には必須の座席形態となっている。(青.)

【用語解説】