B4 再び首をとられる鬼.

『鬼童丸』

絵師:歌川国芳 判型:大判錦絵3枚続
出版:弘化4年~嘉永3年(1847~1850)
所蔵:舞鶴市糸井文庫  所蔵番号:01ル62.

【解説】
 袖を引きちぎって振り切られた貞光、足下に倒された季武、懸命に抱留める綱、両手を広げて遮ろうとする公時。頼光は太刀を抜いて、馬上で身構える。こうして、市原野での鬼童丸退のシーンが、国芳の手で描かれている(B2,B3)。とりわけ、本図と、前項B3は、約10年の時を経て描かれたものであるが、四天王の配置は異なるものの鬼童丸の姿は引継がれており、国芳独特の鬼童丸イメージが描かれたものとして興味深い。
 名前の通り、鬼のように描かれる鬼童丸は、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』や同じ国芳の「武勇見立十二支 鬼童丸」に見られるが、国芳もB2の「和漢準源氏」や「鬼童丸を退治するの図」のように人の姿で描くこともあり、春幸豊国〈1〉の武者絵でも"盗賊"程度の描かれ方である。本図を倣ったと思われる芳艶「四天王鬼童丸退治」も国芳ほどグロテスクには描いていない。巨大な鬼として描く先行の武者絵には、文政後半と思われる勝川春幸の「源頼光鬼童丸ヲ退治之図」があり、鬼童丸が酒呑童子の血を引くという伝承もあって、国芳の鬼童丸像が形成されたのであろう。
 そして、鬼童丸がまさに視覚的にも鬼と化すことで、頼光は再び鬼の首をとることになるのである。
 一方、鬼童丸は、馬琴の読本に描かれて以降、袴垂保輔と妖術を競べる妖賊としても描かれるようになる。鬼童丸は、烏天狗にられ、鷲を使い、袴垂の蛇と対抗して描かれており、こちらの姿で歌舞伎の舞台へも登場するようになる。

 なお、展示する本図は、三枚続の中央と左が入替って台紙に貼り込まれているが、鬼童丸が中央にくるのが本来の構図である。(a).

*石燕『今昔百鬼拾遺』(MET 2013.803)
*国芳「武勇見立十二支 鬼童丸」(立命館ARC arcUP4530)
*国芳「鬼童丸を退治するの図 」(The British Museum 2008,3037.19107)
*芳艶「四天王鬼童丸退治」(舞鶴市糸井文庫 01ル63)
*春幸「源頼光鬼童丸ヲ退治之図」(エルミタージュ美術館)
*豊国〈3〉「豊国揮毫 奇術競」(舞鶴市糸井文庫 01ル67)
*芳年「袴垂保輔鬼童丸術競図」(Marega Collection MMS348_02)