C4 弁慶の力と義経伝説.
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「英名三十六合戦」「鬼若丸」
絵師:歌川国芳 判型:大判錦絵
出版:弘化4年~嘉永2年(1847~1849)
所蔵:立命館ARC 所蔵番号:arcUP6334.【解説】
異常誕生譚は英雄説話の特徴といえる。「弁慶」もその一人である。弁慶は熊野別当弁心の子であり、母の胎内に一八ヵ月いて、生まれたときにはすでに二~三歳の子供であった。父は鬼神だと考え殺そうとするも母によって助けられ、父の妹に「鬼若」(「義経記」では鬼若、「弁慶物語」では若一)と名付けられ生後五十一日にして叔母に連れられ京に上った。たくましく育った鬼若は五歳の頃には十二、三歳程に見え、生まれつき肩まで下がった黒髪のさまも宮仕えには似つかわしくないということで比叡山の学頭、西塔桜本の僧正の許へ連れられ修行することになった。しかし当の鬼若は体力に任せ、山内の法師どもを連れて奥山へ行って相撲をとったりと腕白ぶりを発揮していた。人々は鬼若を非難し、師の僧正も困り果てついに鬼若は追放される。そのうち鬼若も僧正が自分を持てあましていることを悟り、法師になるため自分で頭髪を切り頭を丸め、昔比叡山に住んでいた暴れん坊が"西塔の武蔵坊"と名乗っていたのでそれをもらい西塔の武蔵坊、名乗りは父の弁心の弁の字と、師匠のかん慶の名前から一字ずつもらい弁慶と名乗るようになる。そしてのちに義経に出会い、多くの武勇伝を現代にまで残している。
弁慶は異常出生を遂げ、さらに力を持てあまし周囲から拒絶されてしまう。しかしいずれその力は義経と出会い人々が憧れる英雄の力へと変化していった。公時と同様、弁慶もごく普通の人と出会うことで「境界」の内側の必要な力となったのである。(宮).【翻刻】
熊野の別当弁正が子なり 力飽くまで強く幼年の頃叡山に登るといへども同輩の子供を打散らし縛り乱妨狼藉いふばかりなし 師の坊さなざな教訓なし 遂に西塔に住し自武蔵坊弁慶と名乗り後義経に従ひて諸所の合戦に働き武勇をあら侍りける【参考文献】
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中瀬喜陽『説話世界の熊野 -弁慶の土壌-』(日本エディタースクール出版部, 1991)
佐竹昭広『弁慶物語 京都大学蔵』(臨川書店, 1979)
北澤良子『弁慶説話の成立と展開 -御伽草子『弁慶物語』まで-』(上田女子短期大学学会(8),pp.48-55, 1986)