源頼光(よりみつ、らいこう)は平安時代中期の武将。天暦二年(九四八)に生まれ、七十四歳で没した実在の人物である。母は摂津源氏の祖である源俊(すぐる)の女、父は鎮守府将軍源満仲(みつなか)。歴史上では三条天皇の皇太子時代の二十年余にわたって春宮坊へ出仕し、その間に大進から権亮に進んでおり、内蔵頭も歴任するなど中央の生活が主であった。豊かな財力を基に摂関家に近付き、藤原氏と友好的な主従関係を結んでいたとされるエピソードが『小右記』『日本紀略』などに残されている。
頼光や配下の武者達の武勇譚を題材とした、いわゆる「頼光伝説」は、多くの作品が頼光を主人公として取り上げたもので、あるいはその逸話をベースとした物語を作り上げられてきた。それらは、さらに能、浄瑠璃、歌舞伎などの芸能に取上げられ、人口に膾炙してきた。
頼光の時代は武家が次第に興隆し始めた時代であった。そして、頼光の武勇談は、強力な中央の王権を守るための異界の敵との戦いである。源平の戦いのような、身内の権力の争奪戦ではない。異界のもの、すなわち人々にとって未知のものと果敢に戦う頼光を頭領とする武士の活躍は、当時の人々の目には、英雄として映ったであろう。
史実においての頼光は「歌人、武略に長じ、神権化に通じたる人」と記されているように、武人・英雄というよりは、まだまだ武官貴族としての印象が強い。おそらく、配下の武士の武勇譚を、頼光の名で統合しながら、頼光と四天王、独り武者の伝説が束ねられていったにちがいない。(a).
【参考文献】
『国史大辞典』 JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2016-11-08)
加藤康子「幼少期頼光像の変貌」(『昔話 : 研究と資料』(43) , pp109-119 , 2015)
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